気がつくと2018年じゃないですか。前回ブログ書いてから半年経ってるわけで。
あやー。
どうせ年に数回しか書きませんけど、今年もよろしくお願いします。
年末年始は、ささやかながら病院も通常の外来を休みますが、入院はあります。
幸い大学の先生方のアルバイトで日当直をまわしていますが、ワンポイントリリーフなので、入院中の方のフォローは手薄になりがちなので、その部分は毎日回診にいくわけで、年末年始は、逆に忙しいですね。ただ、日直・当直はないだけありがたい。
それにしても年々正月って非日常な感じがなくなってますね。
これは私の仕事柄かもしれませんけど、街も、コンビニは空いているし、同窓的な集まりのための飲食店にも事欠かない。お正月の「特別感」というのは年々希薄になっている。*1
正月で一年がリセットされる。カウンターがリセットされて、次の一年が始まります。歯車じかけの暦が、桁が繰り上がるかのように、そろばんの桁の繰り上がりのように。
昔はそういう感覚がとりわけ強かったように思います。
時の流れは本来連続したものですが、正月というまぎれもない特異点があり、そこで別の一年が始まる。そういう意味で正月というものは非連続点、特異点という意味合いが強い。*2
数には、1,2,3…と整数みたいに非連続な数(離散数)と、連続する数がある。
日本人は伝統的に上述のごとく時間を離散数的な感覚でとらえていたのではないかと思いますが、ここ最近は時間の粒度がきめ細やかになったのか、不連続な断絶がなくなり、時間を連続数的にとらえる傾向になっている。
連続した流れであれば、0.98も1も1.02にもあまり大きな意味はない。
そのため、正月の非日常性が薄れているように感じるのかもしれません。
ちなみに元号もそうです。
改元されると時代が変わる。改元はいろんなことがリセットされる、特異点でした*3。
なんかやたら世の中が荒廃している時には、ノートが汚れたから新しいノートに変えるかのように、元号は1,2年で打ち捨てられて新しい元号にあらたまり、新たな世の中が始まることになっていました。元号には、それくらいの意味があったわけです。
でもおそらく、正月の非連続性がだんだん時代にそぐわなくなるのと同様、改元の非連続性は現代では扱いにくくなっています。
おりしも、来年は改元が行われることが予定されています。でも昭和から平成の改元とは違って、今回の改元はそこまでの意味をもちえないのではないかと思います。
ちょっと前から和暦への依存性はどんどん軽くなっています*4。改元を契機にその傾向は一層高まるように思います。もう少しあからさまに言ってしまえば、ビジネス上の年号表記はほぼほぼ西暦が主流となり、和暦は今の六曜、「大安」「仏滅」くらいの地位まで低下するのではないかと思います。
私の領域について言えば、カルテの本文についても、既往歴などを記載する場合、●年に胆摘Opとか、そういうの書くわけです。
今うちの病院では和暦より西暦を推奨とはしてみましたが、年配のドクターはなかなか理解していただけないようで。