お久しぶりです*1
今になっては、関西での台風21号直撃*2、北海道の地震など多数の災害があり、全国的には少しニュースバリューが薄れつつある今、自分なりに広島県の水害を総括してみようと思う。
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水害があったのだ。
7月頭の、豪雨災害、私の住んでいる街、福山にもやってきた。
ただ、幸い、僕の家もうちの病院も施設も、さしたる被害はなかった。
職員の中には、床上浸水、床下浸水、水かぶって車が廃車になったり、断水地域から通勤している人もいたし、交通途絶で苦しんだ人もいた。ただ、職場そのものの被害はなかったので、対策はたてやすかった。
ナイーブすぎるのかもしれないが、広島県は災害の本当に少ないところ。
だから、こういう風に大きく被害を受けるんだ、という事実にまずびっくりしてしまった。その意味では、危機感の少ない地域に結構な災害がやってきたことになる。
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僕の街では結局人死にも少なく、震災などに比べたら大きな被害とはいえなかった。ただ、僕らは幸運だった…と手放しには喜べない。大都市に住んでいるわけではなく、我々には様々な地縁血縁のネットワークがある。近隣の災害を他人事として考えるようには習慣づけられていない。
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今回豪雨災害に直面してわかった不都合な真実。
それは、水害は、運不運の要素が少ないことだ。
水は高きから低きに流れる。浸水しやすいところ、残るところは、水害がなくてもわかる。
冠水してくると、土を盛っている高くしている家は浸水しない。低いところは浸水する。厳然たる事実。
そして、行政レベルでも大体その辺はわかっているのだ。ハザードマップを見れば、平時でも、本当は水害のリスクが高い低いということは明示されている。つまり、被害は起こるべくして起こった、ということだ。
こういうと語弊があるな。
起こることが当然、というわけではないが、災害の濃淡には、台風や地震に比べると蓋然性の要素が低いと思う。
福山でも倉敷でも岡山でも、市の中心地の被害は少ない。多くは海側にあり、海抜は低いのに。
これは、市中心部は下水の浚渫装置が発達しているためだそうだ。
やや上流に存在する住宅地が冠水していても、そこよりも下流にあるための市中心部はごく一部の道路や排水口が溢れただけで、全体的には、被害は軽微と言えた。
これは間違いなくある種の不公平、不都合な真実だ。
ただ、すべての住宅地について完全に浸水が起こらないようにする防御は、コストパフォーマンスを考えるとできない。
今ある市街地を、昔の城攻めのように考えると、市中心部は、ある種の本丸、辺縁の住宅地は「付け城」「出城」といわれる部分に相当する。そしてそれ以外の田園地帯(住宅はもちろん散在している)。
もし「なにか」が起こるとすると、防御態勢は、この順に手厚くなっているはず。
これはローマ時代から変わらない。
今回の水害であらわになったのは、そういうことだった。
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ただ、当地での最大の潜在リスクと思われている南海トラフ地震に対しては、今回被害の少ない臨海側の市の中心街は、おそらく最も大きい被害をこうむるだろう。
南海トラフ地震についてもそれなりの防御はされているが、本質的に津波被害については脆弱であるのは自明である。これについては「起こってみなければわからない」というところだと思うが、災害対策の予算は限られている。今回の豪雨災害をうけて水害対策を行うのか、いっそう気を引き締めて南海トラフ地震への対策の投資を行うのか、意見が分かれるところだろうと思う。どうするのかは、今後の政治決定にかかっている。
南海トラフ地震が起こり、津波が起こると、うちの病院は浸水することがわかっている*4。それもあって電源もサーバーも患者居住区は上階にあげているが、外来、CT、MRIは一階にある。多分そのときには泣きながら外来を片付け、CTもMRIも買い換えることになるだろう。気が重いな。