半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

医療崩壊―僕たちは、どこまで頑張ればいいのか。

http://d.hatena.ne.jp/halfboileddoc/20071215にも書きましたが、私は昨年の八月から、いわゆる地方自治体病院なるものに赴任し、働いております。いわゆるいまはやりの「医療崩壊」の最前線、といえるようなところです。

四月から、いっそう厳しくなりました。常勤の内科系医師は12人から9人へと減りました。しかも下から3人が。今では僕が内科系最年少ということになります。33歳のこの僕が。

 もう、圧倒的にだめ。

 草野球でいうと、外野がいなくなったレベル。しょうがないから、こけしとか犬とか、一応置いておく、みたいな。

 でも、今まで監督席にいた内科の一番上の人は、それでもなかなか守備につかないもんなんですよね。人数の足りない草野球チームに、監督なんか必要ないのに。

* *

 いわゆる内科系に身を置くものとして、マスコミ言うところの『医療崩壊』は、他のネットで発言している医師と同じく、規定路線だと思います。こんなことをいまさら書くのは阿保か馬鹿かといわれるかもしれませんが、アホの子のふりをして書きますよ。一般の人向けに。

 たとえ医療費削減がなくたって、もうそりゃ無理。

 だって、人がいなさすぎる。

 これから高齢者がどんどん増えるのに、内科医は全く増えません。今後2,30年の需要に対して、明らかに供給は、足りなさ過ぎる。例えば今から急に医者を増やしたって、もう今減っちゃった分は急には増えないわけで、この膨大な惰力(イナーシャ)に対して、我々はあまりにも無力です。

 現在生きている高齢者の群れを漠然とイメージし、そしてそれに立ち向かう我々(数も減っているし、士気も下がっている)の現在の疲れっぷりを考えると、この先10数年は今と同様碌に休みもとれないのかなぁと暗澹たる気持ちになります。

 どんな魔法を使えば、どんな「カイゼン」を行えば、この割り当てられた仕事をこなせるのか、ちょっと想像がつかない。

 ん?奴隷?

 そうだな。僕もそう思うよ。

 でも、普通にそれなりの仕事をしているだけで、「奴隷医」と罵られる昨今のWebの風潮は、どうかと思う。僕だって「患者のために粉骨砕身して頑張ります!」なんて熱意はさっぱりないし、どこか醒めている。奴隷医と言われると、そうかなとも思う。

 けど、仕事ってそんなもんだろ。

 イワンのばか。トルストイ

 ただ、「医療」というものの奴隷ならまだしも、患者の奴隷にはなりたくないと思う。

* *

 しかし、この先の見えなさの中で仕事をするのはやはりストレスです。自分が今の仕事を10年20年勤め上げるイメージが、どうしても湧いてこない。そこまで自分の体が保つとも到底思えん。

 今の仕事のペースでいくと、自分が体を壊してやめるか、もしくは体を壊した同僚の分も仕事が増えて、とても人間のこなせる処理量を超えて「キャ~!!」と黄色い声を上げて流されていくかのどっちか。

 自分の希望は、やはり仕事の着地点がほしい、ということ。ここまで頑張ればなんとか目途がつく、とか、そういうのってモチベーションの維持には大事ですよね。

* *

 しかし、どう考えても、ミラクルは起こらない。

 今の水準で医療が継続できるはずがない。我々は右肩上がりであった医学・医療と言うものが始めて退歩する様に立ち会える初めの世代ということになります。

 では、このような希望のない時代で、個人としてはどこまで頑張るべきか。

 おそらく、目標としては…

 このまま全国的な医療崩壊が進行して、とことんまで行くとこまでいって、今まで当たり前のように受けられていた医療は最早受けられないということを、我々の顧客である地域住民が感じ取れるところまで。

 これがゴールでしょうか。

 要するに、全国の平均的なレベルに合わせる、ということですな。

 そういう意味では昨今の医療崩壊の報道、大賛成。みんな、そういうもんだと思ってもらえるから。実際そういうもんだし。

 綱をにぎったままずるずると後退しても、綱を離してしまうよりはいい。

 医療水準のテーパリング。ソフトランディング。

 それが他の地域よりも突出して早くならなければ、大成功でしょ。

 最近はそんな感じに考えています。

 ま、これって、医師国家試験を受けるときの医学生のメンタリティに似ていますがね。下位10%に入らなければいいのだ、ということで。

* *

 逆に、デマントベースで考えると、そういう悲観的な結論しか出ませんが、サプライベースで考えれば、別のやりようもあるかもしれない。提供できる医療リソースが有限な場合には、適切に制限してやれば、それなりのパフォーマンスはあげられるはずだから。

 後期高齢者制度というのは、ある種そういうコンセプトに基づいているとは思うのですが、あれは年齢で画一的に区切られているわけで、現場に立つ限りあまりいい方策とは思えません。90代でも、濃厚な治療をする価値の人もいるし、60代でも、濃厚な治療に値しない人もいる。

 自分が現在携わっていて、医療費のムダと感じる症例というのは、

口が利けないようなけっこうな認知症の方に生じた大きな病気(心筋梗塞とか、悪性疾患とか)とか、余命が6ヶ月以内の方に生じたコストとマンパワーを要する急性期疾患(消化管出血とか、心血管イベントとか、挿管を要する肺炎とか)とかでしょうか。

 こうした症例はむしろ同じ病気でも若年のそれよりも難しく、熟練を要すわけですが、言っちゃえば、得られるベネフィットもやっぱり少ないわけで、こういう症例を全部スルーしちゃって、あっさりモルヒネなんか使うような緩和医療にしてしまえば、薬剤費はともかく、医師のマンパワーに関しては随分余裕が生まれるとは思うけれど。

 現在は、そういう適応の可否は法律上は決められていません(きっと「人権」に抵触するからでしょう)。ですから、我々も一応家族、本人に、治療の選択肢として、濃厚なやつから軽いやつまで説明します。可能な限りの治療選択肢を説明する義務があると、裁判所の方がいわはるんでね。治療を決めるのは、あくまでも顧客だと。そうすると、買い物と同じで、値段が同じで(どうせ月6万)あるなら、できるだけ高い=治療の濃厚なものを選ぶのが性ってもので、やっぱり濃厚な治療を希望されることが多い。

 かわいそうっちゃあかわいそうですけれども、逆に、治療する方がかわいそうかなあと思われるような事例に、あまりにも多く出くわします。

 こういう症例を制限するのは、我々末端はできないので、中央で誰かがしてくれればいいのにと思います。ま、死刑執行にサインする大臣、みたいなもので、決して尊敬も感謝もされないでしょうがね。