半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

道について

2023, 広島県

この道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
アントニオ猪木の引退コメント。実は一休和尚の言葉)

以前にも書いたけれども、最近の僕はやたら歩いている。
低山に登ったり、ギリギリ登山と言えるような山にも行きつつある。
hanjukudoctor.hatenablog.com

面白いもので、最初は標高差200mの山でもヒイコラしてたのに、今は、1日3万歩、獲得標高差1000mくらい歩けるようになった。*1
不思議なことに、歩くことでひさしぶりに運動のスイッチが入り、ジョギングも10年ぶりくらいに再開した。もちろん私は運動が苦手なので、マラソンとかを目指しているわけではなく、キロ8分前後でのーろのろ走っている。でもこれも半年前はキロ10分くらいだったのが、だんだん走れる時間が増えて、LSD*2っぽくなってはきたのである。

自然歩道

そんな私はの最近の興味は「自然歩道」。
……みなさん知ってます?
www.env.go.jp

50年前くらいに環境省が制定したハイキングロード(ググってください)。
各地方ごとにあるのだが、私は広島県に住んでいるので「中国自然歩道」。
偶然家の近くの低山がこの中国自然歩道の一部で初めてこの道の存在を知ったのである。

そこをずーっと歩いてみたい。
もちろん忙しいのでスルーハイクは無理なので小分けにチャレンジになるのだが。

アメリカでは4000キロにも渡る長距離自然道があり「ロング・トレイル」なる、そこをハイキングするレジャーもある。
日本でもトレイリングは徐々に認知度が高まり、あちこちにトレイルが作られているらしい。

消えゆく道

ただ、問題としては、僻地の誰も通らない道はどんどん消えて通れなくなってるらしいんですね。

youtu.be
この方は岡山県在住のトレランの女性なのですが、あちこちの僻地の道にチャレンジしていて、参考にさせてもらっています。都市部から遠い部分の自然歩道は、あちこち埋もれていて要注意のようです。

トレイルズ

最近読んだ「トレイルズ」*3という本には、いろいろ面白いことが書いてあった。
「道」というと、日本ではどうしても、茶道・武士道のように「Way of Life」みたいな意味が付与されてしまうのだが、そこはさすがにアメリカの本。
いきなり出てくるのは、先カンブリア紀の、動物が這ったあとの「化石」。
これが最古の「道の化石」だとか笑。

この本によると、アフリカの道を作ってるのは象であるらしい。(確かに、天然のローラー車みたいなもんである)
空間把握力と記憶力が抜群に良い彼らは何百キロ何千キロに渡る道を把握してコミュニケーションしてるだけでなく、たとえば好きなフルーツの種を空き地に撒いて、ある種のSAまがいの空間を作るなど、道のデザインまでしているんだとか。
こうなってくると道は単なるものではなく地形の神経回路じみた存在とも言える。

もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ。
魯迅『故郷』)

これはメタファーなのだが、僕が言っているのは、メタファーでもなんでもない話だ。

パワースポット

最近山に行きだして気づいたことだが、山の入り口や頂上にはお堂、神社、寺などの宗教施設(最近ではパワースポットと言います)が必ずある。
もちろんそれは山の上とか巨石巨木の自然の荘厳を感じる光景が宗教的な心性を引き起こすからなのだろうが、案外道作りという効用もあるのかなと思う。

中国自然歩道でも車での移動が当たり前になり、交通がとだえたところは消えてしまっている。
人が歩かないと道は荒れて無くなるから。未舗装の時代は特に。
けど、寺や神社の参道って、やはり残ってるんですよね。
道を維持するためには一定の頻度で人が通る、つまりそこに行く理由が必要なわけです。

山の上に神聖な場所がある。
だからといって、別にそこまで行く必然性があるわけではないのだ。
オーストラリアのエアーズ・ロックだって神聖な場所だけど逆に入ってはいけないゾーンになっている。
霊的な場所であり、なおかつそこまでの参道があるには、何らかの理由があるはずなのだ。

パワースポットありきで、そこにいくまでの道がある、と我々は思いがちだけど、
ひょっとしたら、そこまでの道が必要で、道ありきのパワースポット(寺や神社)だったのかもしれない、と
最近は感じている。

*1:将来的には1日5万歩くらいはマックスで歩ける体になりたいと思っている。

*2:Long Slow Distanceという用語の略。長い距離をゆっくり走ると持久力がついていいですよ、ってやつなのだが、私にとっては別にSlowではないのだが

*3:なにしろトレイリング・トレッキング、登山に関する情報を大量に読み漁っているのだ

AIとの折り合い方

2023, 広島県

2020年から2022年は「コロナ時代」とでも言うべきものだったと思うが、さすがにコロナというものはいったん影をひそめたと考えていいように思う。やれやれ。

ただ、次なる時代は「戦争の時代」とでもいうべきものになるのだろうか。
疫病もいやだけど、戦乱もいやだな。

AIの台頭

AIによる自然言語処理の進展が世間を賑わせている。
ChatGPTのような技術は、多くの分野に影響を与え、我々の生活や働き方に新たな風を吹き込んだ。
この波は、ブログを書く私にも、静かながら確かな影を落とした。
どちらかというと暗い影を。

今年に入ってChat GPTが爆発的に普及した時に、私も課金して折々に使っているが、ただ文章を作るだけだったら本当に上手にやってのける。
文章に書きなれない人だったらChatGPTに書くことをすべて委ねてしまいたくなるだろう。

ただ、私はそうではない。
文章を書くことはあまり苦ではなく、書くことにむしろ喜びをみいだすタイプの人間である。
ブログを書くことは、自分の思いを綴る、心のスケッチブックのようなものだった。

しかし、AIが文章生成の分野でここまで力を発揮するようになると、私の中の何かが揺らいだ。
長年の友であった言葉が、突然他者のものになったような感覚。
クラスで一番だったのに、とても敵わないような転校生が入学してきたような。

そのショックは書くことの情熱に冷や水を浴びせるに十分だった。
端的にいうと、ブログのモチベーションがかなり下がったのである。
2〜3ヶ月沈黙を保ち、更新が激減したのは、そういうことも一因かと思う。

* * *

しかし夜明け前が一番暗いという言葉もあるし、
考えてみると、私が書くことを奪われたわけでもない。
幸いに書くことでお金をもらっている立場でもない。

ChatGPTという存在を脅威としてではなく創造の道具として使うことにする。
AIという新しい筆を手に、これまでとは異なるアプローチで文章を紡いでみることにする。

私のブログは、AIの力を借りながらも、私自身の個性や視点を失うことなく、新たな色彩を加えていく。
これは私にとっての挑戦ではある。
AIを用い、文章生成の省力化ができるかどうか。
しばらく見守っていただければ幸いである。

* * *

というわけで、この文章は、Chat GPT 4.0に

・ChatGPTのような自然言語処理のAIが登場して世間をにぎわせている。
・もともとブログを書いていた自分にとっては自分の強みがAIに奪われたような気がしていて、テキストを書くモチベーションがさがっていた。
・しかしChat GPTを上手に利用しながらテキストを生成してゆくという、AIアシストの世の中における適応を目指してみようと思う。
というブログ文章を書いてください。平文で 500~800程度。

というお題で書かせた下書きをリライトしたものである。

結論とか、クリスプなたとえであるとか、自分のプライベートに即したことはChat GPTには書けないが、小論文としての話のアウトラインとかをさらっと書いてくれるのは時短にはなる。

感じとしては、自分で学会発表をしていたものを、下の発表を見るようになった時の感覚に近いかもしれない。会社でいえば、部下の仕事を監督するリーダー業務、的な感じか。

今年度はこんな感じでやってみて、その後どうするか考えてみようと思います。

アラフィフの僕がライフスタイルをかえたこと

2023, 広島県

気がつくと自分も49歳。*1
これくらいの年になるとみんな腰痛い肩痛いとか、この薬飲んでるとか病気自慢に事欠かない。
とりあえず私もそういう一人として現状を書き残しておくことにする。

今までの私

私は酒は飲まずタバコも吸わず。
これは褒められていいことだが、それ以外に悪いこと沢山。甘いもの大好き、うまいもの大好き、塩辛いもの大好き、ラーメンとか麺類好き、早食い、多動気味で睡眠障害あり、仕事も趣味活動も多忙を極め、完全に「生き急ぎスタイル」。

しかしその多動生活はコロナ禍で頓挫。
足を止めて考えることを余儀なくされ、結果、生活は少し変化しました。

2021年から焚き火とかアウトドア的な活動に興味をもち、コロナ禍で運動量がめちゃくちゃ減ったことに気づき、一年前から少しずつ運動を増やしたりはしていました。

以下、2023年の話です。

降圧薬

2022年の検診で少し異常があり、血圧計を買い測ってみると、なんと180/110mmHgと医者にあるまじき値でドン引き。さすがに血圧の薬を飲むことに。
現在は110-120代におさえています。
一時期は三剤併用でしたが(TZ/CCB/ARB)今はCCBのみ。エンレスト入れるかもしれん。

塩分対策

もともとかなり塩分好き。
これも流石に反省し見直し中。
ただ、なかなかうまくはいかない。
例えば家でサラダにはドレッシングを減らしその分ワインビネガー使ったりとかしてます。コンビニの弁当ではついてくる醤油とかはほとんど使わないとか。しかし、ラーメンとか食べますし徹底はできていません。

NSAIDsをやめた

昔は私、慢性頭痛に対してバファリンロキソニン飲みまくりでしたが、これもやめました。
やめた時にはかなり痛みがでましたが二週間くらいで落ち着いた。あれはNSAIDs誘発性頭痛だったのかもしらん、と思う。

エナジードリンクは(あまり)のまない

レッドブルのみまくりだった自分。
今でも睡眠不足の際時々は飲みますが、基本的には飲まないように心がけています(以前は週に5-6本。今は月に1本くらい)
カフェインおよび糖質中毒だったんだと思う。
これも中断して1〜2週間不調でしたが、慣れると落ち着きます。

こう考えてみると、酒は飲まないにしろ、依存傾向が強いと思う(塩・糖分・NSAIDs・エナジードリンク)。

コーヒーを飲む

昔はコーヒーのめないマンでした。
今は豆から挽いたコーヒーを飲んでます*2
ブラックダメなので牛乳入れます。ホットミルクなんざあめんどくさいので「ぬるコーヒー牛乳」。
ただコーヒーのうまさは未だにわからない*3

夜は寝る

基幹病院勤務の頃は当直も頻繁にあったし、よくそのせいで不眠になっていました。
コロナ禍以前は、24時間オンタイムのバケモノでしたが、コロナ禍で生活がリセットされ、睡眠時間をだいぶ増やしました。
趣味や飲み会などの活動性は落ちましたがQOLは上がりました。

歯科に定期的に通う

以前歯がどうにもあかんくて趣味のトロンボーンもう辞めなきゃいけない…という時期もあったんですけど、歯科で虫歯と歯周病はケアして今のところは大丈夫。2ヶ月おきくらいに歯石とったりメンテナンスにも行っています。これはもっと歯の状態がいいうちにやっておけばよかったと思う。

革靴を履かない・リュック

腰痛がでてきたので、革靴はダイレクトに衝撃が足にくるのでNG。
必然的にスニーカーメインに。
となるとフォーマルスーツが似合わない。カジュアル気味のジャケパン主体になりましたね。
結局夏はポロシャツ、冬はニットポロおじさんと化しています。
おじさんなので「ノームコア」時代から脱せずです。リュックについてはいろいろ言いたいことがあるのでまた機会があれば。

運動

GWに家族友人と軽い気持ちで山に登ったんですけど、たかが500m程度の標高で、もう全然ダメでヘロヘロ。
そこから反省し意識して運動量を増やすようにしました。ハイキング的に山に登るようになりました。
YAMAPの利用。最近は裏山低山おじさんとなり、市内の無名の山を徘徊しています。

だんだんわかってきたんですが、私はアルパインライミング、つまりガチ登山にはあまり興味なくてロングトレイルやハイキング志向みたい。
とはいえ、まとまった休みはとりにくいので、いつかはロングトレイル…と思いつつ、体力作りとセクションハイキングです。
1日3万歩と高度差1000mでへこたれない体を目標にモリモリ歩いております。
YAMAPは、RPGみたいなもんで面白いですね。ゲーミフィケーション
そして山、となると、また装備品が色々あって、物欲まみれ金銭感覚麻痺まみれで楽しい日々を過ごしております。

まあ、健康に気を遣う、ということはそれだけ健康を害しているわけでね。
タバコやらない割に動脈硬化がひどいじゃないの、と思う*4
今更健康に気を使ったって、あんまり長生きできないんじゃないかと思うけど、それなりにがんばりましょう。

*1:今年50歳になると思っていたんだけど間違ってた。

*2:これもアウトドアとか焚き火の影響ね

*3:残念ながらまずいコーヒーはわかるようになってしまった

*4:コレステロールは高くないが中性脂肪はかなり高いので、肥満や慢性歯周病などの影響もあるですかね?

ウェラブルセンシングの次の段階

2023, 鹿児島

この前モダン・ホスピタル・ショウに行ってきた話をした。
hanjukudoctor.hatenablog.com

コロナ前から「モダンホスピタルショウ」関西で行われる「メディカル・ジャパン」は必ず視察に行くようにしている。
新製品をチェックするため。
新しいものを入れないと、病院なんて、すぐ陳腐化してしまうのよ。
だいぶ前から「ウェラブルセンシング」部門が伸びている。
IoTと総称される進歩なのだろう。*1

ウェラブル・センシングにはいろいろな種類があるが、

  • 個人が身につけて個人の活動を記録し、活動性や消費カロリーなどを記録するもの(FitbitやApple Watchタイプ)
  • RFIDのようなタグを装着し個人や機器の動線をチェック。(人員配置や物品の最適化を分析。工場とかの動線分析に多い)
  • 要介護者や入院患者に対し、ベッドの下にセンサーを仕込んで、体動・呼吸などのバイタルサインを記録し、睡眠覚醒や転倒徘徊に役立てる(介護見守りサービスやパラマウントベッドが代表的)

に大別される。
同時に、AIの進歩で、顔認証システム(主には顔認証によるゲートウェイがはじまりだった)などの映像解析も長足の進歩を遂げている。
画像系のAI診断は実用レベルに達しているし、スペシャリストの立ち位置はこれらのAIの補助なしには考えられなくなってゆくだろう。

目と触覚の情報の統合には脳が必要

結局のところ、センシングは触覚であり、映像解析システムは目だ。
では、その情報を統合するのは「脳」にあたるシステムになる。
これがなかなか出てこない。
私がほしいのは、ある建物内の、人物をすべて認識評価するようなシステムだ。
個人を追いかけるシステムではなく、集団を見守るシステム。
マンツーマンディフェンスではなく、ゾーンディフェンス。

廊下や待合室にはカメラを設置する。なんなら社員証RFIDタグが必要ならつけてもいい。
RFIDタグと防犯カメラの映像の映像を組み合わせ、建物のどこにどういう人がいるのか、を一元的に管理できないか。
昔のSFとかで「マザーコンピューター」と言われるようなやつね。
すべての空間に映像装置がなくてもいい。情報が不足している部分はざっくりとでいいのだ。

これがもしできるならば、

  • 外来の待合室にいる患者さんも、付き添いの人も常にトラッキングする。待合室にいる患者さんが不必要に待たされることが防げる。
  • 警備・防犯システムの大幅な簡素化
  • 職員の出勤・退勤の管理。労務管理(働きすぎもサボりすぎも
  • 1日の勤務の動線管理や人材の適正配置
  • 職員の健康経営
  • お見舞い・面会の管理。
  • 認知症の患者さんの徘徊や無断離院の防止

が、マンパワーを要さずにできるはずだ。
人感センサーと組み合わせて、光熱費の最適化も、将来的にはしてほしいとは思う。

ぶっちゃけ、まずまずハイパワーなPC一台と各種カメラとトラッカーがあればできるはず。
ホテルや病院など、人の出入りの多い職場ではこういった人の管理がとりわけ重宝されるはずだ。

今ならイニシャルコスト1億くらいでも導入したいと思う。
おそらく「当たり前」になる頃には 2000-3000万くらいの値段だとは思うけど。知らんけど。

*1:割と業界動向は抑えているが、その割に投資は遅めである。中小病院だからね

モダンホスピタルショウに行ってきたよ

2023, 東京

経営者は、きちんと当該業界の未来を知らなければならぬ。

コロナ禍では長らく地元に張り付いてコロナ対策医療ばっかりやってた。
今、そして今後医療がどうなっていくのか、はよくわからなかった。

オンラインの会議とかで垣間見るだけでは全貌はよくわからない。
とはいえ、所属学会のシンポジウムとかでは医療全体の進歩は今ひとつピンとこない。

久しぶりにモダン・ホスピタルショウに行くことにした。
www.noma-hs.com
モダン・ホスピタルショウは東京ビッグサイトにて主に新製品の紹介などの展示会を中心に行われている年1のイベントだ。
私はコロナ禍初めて観に行った。

今年の傾向

出展は以前より少し少なめであるように思った。
ハードよりもソフトの傾向が強かったように思う。
キーワードは、AI、DX、セキュリティ。
ちょっと前、一世を風靡したVR的なやつは今回はあまり目立たなかったように思う。

生成型AI

Chat GPTのブレークスルーからまだ一年経っていない。
製品レベルでは自然言語系AIはまだまだ(シンポや講演会では言及されていたRPAとかChatGPTに凌駕される気もする。)
であるが、画像判別系のAIは実用レベルに達しており、さまざまな製品に片鱗を感じることができた。

DX

DXはどの分野でもそうだが、特に医療は今後の人手不足を睨んで業務効率化が必須と言われている。
とはいえ、いまだに電カル化されていない診療所・病院なども存在するのは確か。

そういうレイトマジョリティやラガード向けの「アホでも使える」系の電子化コンテンツと(電カル・グループウェア
アーリーアダプター向けの、まだ何が生産性向上になるのかはっきりしないコンテンツ(動線分析・経営分析とか?IT資産管理とか)
二通りあるようには感じた。

セキュリティ

海外からのサイバー攻撃ランサムウェアによって医療機関がシステムダウンする、というニュースが最近よくある。
あれ、いわゆる強盗団が、ネットで集められて分業化されてるのと同じ様に、ハッキングもダークウェブ上で分業化されているらしい。

で、個人情報の塊=宝の山である医療機関は、ハッカー達の格好の標的であり、今後も脅威は続くらしいよ。
たしかに喫緊の課題ではある。

「サイバー対策きちんとしましょう」ということで、複数のメーカーがかなり積極的に宣伝していた。
個人的にはAppGuardのゼロトラスト型セキュリティがかなり面白そうだった。


ハードとして、自動精算機とセルフレジがかなり進化しているので、これは積極的に取り入れたいなと思った。
見守りシステム、ウェラブルセンシング系も相変わらずではあるが、コロナ禍前にくらべて大きな進歩は感じなかった(システム的には熟成か)

その他感想:

東京は暑い。とにかく暑かった。
東京ビッグサイトに行くのが目的なので、宿は大井町にとったけれども、これは正解だった。そんなに混雑せず滞在することができた。
しかしホテルで歯ブラシやカミソリが当たり前にホテルに備え付けられている時代はもう終わりらしい。
 というわけで携帯用のシェーバーを買った。(永久ヒゲ脱毛をする方がいいのかもしれないが)

コロナを経て得たもの

2023, 広島県

コロナ。
コロナはまだあるし、なんなら懸念された通り第9波も来そうになっているが、5月8日の5類落ち以降、新興感染症であり、根絶すべき感染症としてのコロナはなくなった。
転校生の「ログインボーナスモテ期」みたいなやつは終わったわけだ。
そうなるとコロナはそこそこ伝播力の強い呼吸器感染症ということになる。

これで、一体どういう世の中になるんだろう。
幸い、サミットも大きな問題も起こらず、終わってよかったよかった。とは思う。*1

コロナによって我々が得たもの・失ったもの

分断

 ソーシャル・ディスタンスという言葉で、物理的にも分断された我々の生活。
しかし、それだけではなく、コロナという感染症に対する理解の違い、態度の違い、ワクチンという予防策に対する受容の違いなど、個々人の差があぶり出されたように思う。。
またリテラシーや政治的な信条の違いなどのさまざまな分断が、はっきりぶちまけられたようにも思う。

社会は元に戻りつつはあるけれども、一度大喧嘩をした人が、元の関係性には戻らないように、なんらかの禍根を残すのだろう。
うっすらと懸隔を感じつつ生きるのか、それとも「雨降って地固まる」になるのか。
それも人それぞれだとは思うが、「ワクチン脳」「コロナ脳」と全存在を賭けて罵り合った両陣営が、融和することはないように思う。

意思決定の拙劣さ

 残念ながらそれぞれの政府の意思決定にはかなり差がみられた。
コロナ序盤、独裁政権は概ね判断が果断で、スピード感はあった。
それゆえにコロナ禍序盤には「民主主義よりも独裁政治の方が、意思決定の上で優れているのでは?」みたいな言説もあったし、ひょっとしたらそうなのかも、と僕も思った。
しかし中国は「ゼロコロナ政策」で盛大にオウンゴール。大失敗をしたし、2022年2月のプーチンウクライナ侵攻とあわせて、「やっぱり独裁はあかん」と思いなおして、今に至る。

日本の意思決定は比較的遅く、後手を踏んだ部分も多かった。
にもかかわらず現場でのマイクロマネジメントがいいせいで、かなり死亡数は抑えられたように思う。
むしろ、やや遅めにしかしかなり金をばらまくコロナ政策で、コロナ明けてみると、ツケ払いの多さに慄いている日本。
日本は、判断が遅く、それを終わらせる判断はもっと遅い。

良くも悪くも各国の「悪いところ」が顕著にでたように思った。
振り返ってみると、安倍総理のフライング休校と、安倍マスクは、ピント外れの政策だったとは思うが、動物的な勘であのタイミングで独断したのは、なかなかのスピードだったと思う。
専門家会議の提言などは、あのフライングのあと間違いなく採択されやすくなったとは思うし。

リテラシー反知性主義

陰謀論に堕した人を輩出したのが、今回のコロナ禍だったんじゃないかと思う。
別項でも論じようと思うけど、メインストリームの科学的な立場からの発言と、政府の政策決定に対する不信が絶妙にミックスされた結果、「反知性主義」的な陰謀論者が沢山いた(社会が落ち着いた今も絶賛陰謀論中である)。

もちろん、主流に対する懐疑主義者は、昔も一定数いたとは思うのだけれども、
今はそういう人がSNSを使って発信をし、そして連帯することが可能になり、目につきやすくなった。

ただ、主流派の中でも、ワクチンは、結局何回打つべきなのか、打ったらうっただけ利得があるのか、という点についてはゴニョゴニョ…という感じであるし、マスクの効用についても、ワクチンの副作用も、今後の検証が待たれる。この辺は確かに曖昧で、専門職としてニュースをピックアップしていても、

も、ワクチン推進派は、四回、五回、と回数が増えても「回数が増えれば増えるほどいい」みたいな受け止めをしていたが、それはそれで、冷静に考えるとあまり正しいとはいえないかなあ、とは思う。
私は次また打つけれども*2うつのをやめた現場の医師も意外に多いのだ。

*1:油断したのか5月末に東京出張して遅ればせながらコロナに罹患してしまいました。大きな後遺症なく復帰しましたが、残念な出来事はありました

*2:6月に入って打った

外来の通院間隔の限界値は3ヶ月か

2023, 福山

わぁ、気がつくと新年度である。
なんかやたらと忙しい年度末が終わり、個人的には新年度は少しのんびりしているはず。はずなのだが。

外来通院

昔は外来通院において内服薬というのは14日が原則であった。
甲状腺疾患とか、若い勤労世代に多く、長らく病状が安定している限られた疾患限定で、長期処方が認められていた。

こうした制限は、昭和のある時期に撤廃され、事実上診療間隔は自由に決めてよくなった。*1
とはいえ、受診間隔が伸びると、外来の「のべ」患者数はテキメンに減る。

単純に1ヶ月ごとに薬だしている人が2ヶ月ごとになったら、1日の外来患者数は半分になる。
なので、基本的には無床診療所で診察は1ヶ月分内服処方というのが通例というか「暗黙の掟」であった。

ところが、基幹病院や病院の外来では、特定の医師の外来は飽和してくる。
そうすると、2〜3ヶ月ごとの受診に伸ばしがち。長期処方になりがちである。
病院に来る患者さんの多くは採血などに基づいた治療変更を行っているわけで、一月毎に内服3〜4ヶ月ごとに採血、とかだったら、間の内服だけの受診に、あまり意味を見出しにくい。
私の外来もそうで、枠がもう埋まらなくなってくると、受診間隔を伸ばさざるをえない。

患者さんからみて、1ヶ月ごとに受診するメリットはそれほど多くない、というかほとんどない。
(トータルの医療費も増えるし、むしろ時間、タイパが悪すぎる)

患者さんにとっては長い方がいいし、医療サイドの収益面からすると頻繁な方がいい。*2
その力関係によって受診間隔は決まっていた*3
で、受診間隔の正解が何かは、今ひとつわかりにくかったのである。
そこはおそらく政治マターの世界であって、各種ガイドラインにも治療目標などは掲載されるけど、受診間隔というものに踏み込んだものは少なかった。

3ヶ月

ただ、ここ最近は受診最大間隔は「3ヶ月」であるというのが正解なんだろうな、と思われるような出来事がいくつかあった。

根拠はいくつかある。
1:定期受診のオンライン診療については「対面診療を約3ヶ月を目処に、その間をオンライン診療で補完」という文言で、
3ヶ月ごとに実診療を挟むことが義務付けられた*4
CPAPなどの遠隔モニタリング機器についても同様に3ヶ月の縛りがある。

ここ最近、外来での長期処方を、たとえば91日処方をわざわざ1日削って90日処方とする例があった*5
以前から、頻繁に検査すると切られる項目として「尿中アルブミン」「PSA」などあったけれど、この辺りも3ヶ月のしばりがある。

3ヶ月という外来のインターバルは、実臨床においても、内服している患者であれば、これ以上間隔あけると、急速にアドヒヤランスが落ちるという感覚はある。
3ヶ月という数字はまあ落とし所としては悪くないのかなあと思う。

ただこの辺を、もっと大々的に「3ヶ月ですよ!」とアナウンスしてくれたらいいのに。
レセプト査定でネチネチ削ってくるのは、昔ながらの「由らしむべし知らしむべからず」スタイルで、あまり好きではない。

*1:むかしBlogとかもなかった時代に、自己責任がきちっとしている患者さんだったら僕は365日処方もするよ、みたいに書いていた開業医の先生の記事をみたことがあった

*2:もちろん状態

*3:もちろんたとえば非常にコントロールの悪い糖尿や肝疾患・腎疾患の患者さんは毎月受診し毎月ごってり採血が必要だったりもするが、状態の悪い患者さんに限ってアドヒヤランスも悪く、毎月受診をいやがる、なんてパラドキシカルなこともよくある

*4:2020年までのルールではそうなっている。2022で撤廃されたという風には聞かないが、実はオンライン診療に関するルールは結構なスピードで変わっているので間違っていたら指摘いただきたい

*5:広島県独自ルールなのかもしれない。ただ、関西ではB型肝炎に対するバラクルードは90日以上だと問答無用で切られるというルールは聞いたことがあった。