半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

異次元の少子化対策とは

2023, 高梁

コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……
一旦は視界から消えた。
もちろん発熱外来は稼働しているし、時々は陽性者でているが、マスとしては無視できるレベルになっている。
第八波は、中小病院にとっては案外きつかった。

少子化

減少しつつあった出生率が、6−7年分進行が早まったというニュースがあった。
www.nikkei.com

大災害でStay homeという状況であったけれども、残念ながら北米大停電のようにベビーブームが起こったわけではないらしい。*1
それも無理はない。コロナ初年度を思い起こしてもらうといいが、コロナ罹患が忌み嫌われ、安心して妊娠・出産できる状況とは程遠かった。
産科が引き受けてくれる見込みもない。
里帰り出産もできない…(東京から地方に来ることがNGだった時代もあったじゃないか)
ましてはコロナに罹患したら母体そして胎児にどのような影響があるか?というのも「わからない」の一点張りだった。
妊娠をするのにはかなり勇気が必要だった。*2

ま、それはともかく、国も少子化対策に、あらためて動き出した。
岸田内閣いうところの「異次元の少子化対策」だそうな。
異次元?と異次元とはなんだろうか。

「新しい資本主義」とか高邁な看板をぶち上げておいて、結果的にはなんにも中身がなかった既往を考えると、
異次元の少子化対策は、おそらく無次元の対策になるのではないかとは思う。

ただ、政府にも同情すべきところはある。
少子化対策するのは、おそらく異次元級に難しいだろうから。

企業ごとに「再生産性」の開示を義務付けるのはどうか

ま、現実的に、少子化対策って難しい。
地方自治体や個人に対する政策なんて、もう出尽くしているのである。

企業にプライマリーアウトカムを設けるのはどうか。
もちろん今でも企業に対する少子化対策はある。育休制度とか、育ボスとか、企業内認可保育園とか。
しかし、そもそも企業は少子化に対して、直接のアウトカムを義務付けられているわけではない。
アウトカムがないということは、企業そのものは少子化に責任を負わない仕組みになっている。




しかし、妊婦の生活基盤を提供するの舞台は結局のところ多くは企業だ。
動物だって、子育てをするときには巣作りをしたり、安全な場所を選ぶ。
人間もそうで、全くのフリーランスであるよりは、正社員や専業主婦など生活基盤がしっかりしている方が子作りはしやすい。逆にいうと、子作りに際して、ある程度生活の安定性を選好する傾向にはある。

 妊娠・子育て世代の女性は、自分の所属する会社=コミュニティが子育てに向いているかどうかを冷静に見極め、人によっては、それを直接の理由で転職することも多い。(大企業よりも中小企業の方が、転職せず留まり続けるインセンティブは低い)

当グループはいろいろ理由があって、職員待遇のホワイト化をここ5-6年でかなり強化した。
今当グループの有給休暇取得率は75%前後とかなり高いし、産休・育休をとる職員も多い。
男性育休の取得奨励もしていたり、企業内保育園を作ったり、子育てしやすい環境に尽力している。

もちろん、子育てしやすい環境は、他の職員にとっても有給休暇をとりやすかったり、全体に大きなメリットはある。
ホワイト企業化するには、産休・育休は大きな指標になる。
ただ、そのためには当然増員が必要で、そうすると企業の「生産性」は落ちることになる。

でも、頑張ってそういうホワイト化を推し進めても、「あそこはママに優しい」とかの噂止まりであって、相対評価がわからないわけだ。
企業の「再生産性」みたいなものは、数値化されないわけで、だからこそ、企業としては、見て見ぬ振りができる。

この際だから、すべての企業は、離職率や再生産率、有給休暇取得率など「働き方」に関する指標を公開することを義務付けたらどうか。
伊藤忠商事が「企業内出生率」というのを公開したが、これをすべての企業で義務付けてしまうわけである。
www.nikkei.com

ちなみに再生産という言葉は一般的ではないんでしょうかね。
生産=Product、に対して子育て・出産は「再生産」=Reproductという英語がある。ただ再生産という訳語はあまり一般的ではない気がする。なんか「リサイクル」みたいなイメージにとられ、クソリプがついたりする。

できれば経営者視点では、こういった指標に合わせて、税率とか補助金とか呉れたらいいなと思う。
けど、それがなくてもいいから、他の企業に比べ、自企業がどれくらい頑張っているかが見たいのだ。
ということを成績表を見せてくれたらいいなあと思う。
成績がわからないと、やる気でないんだよな。

もしかしたら、所詮中小企業。弊社の努力など世の企業一般に比べ相対的にはしょぼいかもしれない。
でももし数値が開示されているなら、そして平均以上に頑張ろうと思う。

なので、そういう指標の開示を義務付けてくれないかなあ。

*1:もっとも、これも都市伝説に過ぎず、正確にはベビーブームとは関連がないという説もある

*2:私の会社では、コロナ二年目に若い女性職員の結婚ラッシュがあった。みんなよく結婚したと思うけど、確かにパートナーが強く必要とされたのも理解できる

コロナ対策のサンクコスト

2023, 室戸

コロナ・コロナ、コロナ…

今更ですが、あけましておめでとうございます。
11月12月1月。なんも書いてなかった。やー怒涛の3ヶ月でした。*1
音楽活動はそれなりにしていましたが、犠牲になったのがBlogとかNoteで書いてたところ。
文章を書く脳の余裕が完全に失われていました。

病棟もクラスターにおそわれたり、11月には在籍医師の半数がコロナで病欠*2になったり、あと年末年始には家族も熱がでたり。
私は明確にコロナには罹っていないのですが、まあ足跡をたどってみると、どっかで不顕性感染になっていてもおかしくないやな。とは思っています。
しらんけど。

5類相当へ引き下げ。

第八波も落ち着いてきたところのタイミングで、5類相当への引き下げがようやっと形になった。

5類引き下げはまあ、妥当だろ、とは思っていました。
当初四月から…みたいに言っていたのに、蓋をあけると、GWおわり、サミットの始まる直前の五月八日から、だと。
せこ!ずる!しょうもな!
こういうところ、なんか「この政権についていこう」っていう気にさせられないんだよな……とは思う。

政府はきちんと言わないけど、5類相当になるというのは、要するに

「2類→非常に重大な感染症。きちんと囲い込んで感染を撲滅すべし」

ではなくなったからだ。
それはしかしコロナが、重大な感染症ではなくなったからではなく*3、単に囲い込みと封じ込めが現実的に不可能であるという判断を下したからにすぎない。

要するに「この仕事が終わった」ではなく「この仕事は終わってないけど、意味がなくなったから終わる」ということ。
そのへんのニュアンスについて、政府はあまりきちんとアナウンスしてくれないよな、と思う。

2類相当の時のように莫大な予算をつけ、医療機関にコロナ関連の診療を支援するやり方は、もう意味がない。
がんばっている医療機関当事者ではあるけれど、それはしょうがいよなーとは思っている。

「今までの対策は意味がありませんでした」と表明して、手のひらを返す(引き返す)ことは、日本社会ではすごく忌み嫌われること。
日本の歴史をみていても、日本の意思決定システムは、一旦決まったことを中断する、ことがなかなかできない。
これって、なぜなんだろうね?

太平洋戦争然り、バブル崩壊しかり、民主党の時の「脱ダム」もそう。原発行政もそう。
全部似たような匂いがする。
*4

おそらく意思決定=「和を持って尊しとなす」のシステムが、決定事項を覆すコストを増大させているから、だとは思う。
「決めた」事実に逆らうこと自体が忌み嫌われる。
だから、その決定事項を覆せば済むのに、さらに細則は補足で、バグをUpdateしようとすることが多い。

決めるのに時間がかかり、そして決めたことをやめるのにはさらに時間がかかる日本。

その点、専制国家中国ってすごいよね。
昨年末の「ゼロコロナ」から、何もいわず掌返しをした。
まあ見事な変わり身だった。
犠牲者も相当多かったようだし、日本人的な心性ではありえないけど責任もとらない。
全くすごい国だよね(反語的表現)。

でも、そこで論理的整合性を貫徹してゼロコロナ政策続けるよりは、ずっとましなわけですよ。
日本の「引き返せない」体質、どうにかならんもんですかねえ。

* * *

ま、そうは言ってもね。
国家レベルのサンクコストって、金銭的な部分での損得勘定はまあ算出することはできるけど、
例えば、コロナ禍の中で、学生さんたちは通常の生活を奪われ、部活とかも満足にできなくて…みたいな青春の2年間の停止があったりしたわけで、
こういうの、「コロナの拡大を防ぐために我慢をした」というストーリなら受け入れられるけど、
「あの我慢は無駄だった」という事実は、受け入れられんわな。
若者は特にだけど、僕たちおじさん世代だって、高齢世代だって、自分の人生をコロナに曲げられたのは事実なので、
サンクコストというのは、なかなか厳しい話ではある。

*1:中小病院の内科。第八波きつかったですね…

*2:ここが一番きつかった…外来・病棟ともに限界を遥かに超えて捌きつつ、キャパを超えつつ、二週間で当直3回。うち二次救急

*3:もちろんワクチンのおかげで、風邪レベルの対応で済むようになった部分は大きい

*4:太平洋戦争の愚劣さは、戦争決定したところではなく、終戦のタイミングにある

Ubieの長短

2022, 愛媛。木漏れ日っていいよね

コロナ・コロナ・コロナ…
やばいやばい。第七波が終わり、束の間の休息と思っていたけれど、10月になって院内でのコロナ感染を初体験した。
コロナ患者の入院は診ていたけど、今までは奇跡的に職場内での感染などは病棟では回避できていたのに。
一旦このパターンに陥ると、コロナの感染力の強さには改めて瞠目する。マジ勘弁。

個人的にはつい先日オミクロン対応のワクチンを受け、意外すぎるほどしんどかったのであるが、
そんな個人的エピソードなどふっとんでしまう勢いである。

Ubie

https://www.mhlw.go.jp/content/12600000/000685281.pdf

電子カルテの共通プラットフォームについては期待をもって見守っているのだけれど、個人的な考えでは、電子カルテは、堅牢な「ノート」としての機能のみに特化していただき、その上でいかに診療の質を上げるか、という部分は、サードパーティーによるモジュールを利用した方がいいんじゃないかと思っている。*1
確かにそうやって付け足していった方が、購入するエンドユーザーである病院のコスト総計は増えるんじゃないかとは思うけど、一社提供の電子カルテが、それらのサービスをすべて包含して開発するのは、無駄が多い。
なにより電子カルテ会社の開発スピードは遅すぎる。なので、さくっと割り切ってサーバーやOSの更新に対応した堅牢で高速のリレーショナルデータベースでさえあればいいのだ。電カルは。
PHRとかウェラブルデバイスとかウェラブルセンシングとかそういうやつはサードパーティーに任せて、囲い込まない方がありがたいと思う。

さて、Ubieである。
Ubieがなんであるかというのは、もうみんな知っていると思うけど、
AI問診システムのことだ。
出た当時(2017年)にはかなり騒がれ、話題にもなった。
www.hospital-management.jp

実はうちはUbie入れてもう3-4年くらい経つ。
Ubieは僕はすごくいいと思っている。
問診に答えてもらうだけで、昔の内科認定医・専門医の抄録みたいな形のテキストを生成してくれる。
時間がない外来診療の中で初診の患者さんの診察をして、きっちりカルテを書きたい時にすごく便利だ。
あと、紹介状をスキャンするとかなりの正確なOCRでテキストにしてくれるので、紹介状をカルテに反映させるのがすごく簡単になる。

もちろん、そうすると過剰な部分もあるので適宜トリミングしてつかう。

Ubieを使うようになってから、どちらかというと文章を書くより、削除する作業の方が増えるくらいだ。
欲をいえば、「ですます」文から「だ・である」文に一瞬で変換できる機能などがあるとありがたい。
少し前に搭載された、推測病名の各種疾患ガイドラインが見られるのは、不勉強な医師にはとても便利でもある。

Ubieを使ってわかった本質的なこと

そんな便利なUbieであるが、例えば二次救急とかで使えれば便利なはずだが、
夜間の事務人員配置の問題で、使えないのが現在の課題ではある。
(ただ、救急車による搬送には向かない。ウォークインはそこまで多くはないし)

たた、残念なことに便利だと思っているのは僕とコメディカルくらいで、年上の先生にはあまり使ってもらっていない感じだ。

Ubieは「きちんとカルテを書かなきゃと思っているけど、時間がなくてカルテ書けない」という
ニーズには有効なんだけれども、そもそもカルテの文字数を嫌う先生には今ひとつ魅力的ではないのだ。

電子カルテ以前にカルテ記載を始めた年代の先生は、基本的にカルテの文字数が多くない状態を好む。
それも道理。手書きカルテでは、詳細にカルテ記載をするのは不可能だ。
「三つ子の魂百まで」で、カルテ記載は簡潔である傾向にある。

要するに「カルテを書かなきゃ」という内発的動機がない場合、
Ubieはただのうるさいおしゃべりマシンに過ぎないのだ。

実際、カルテの文字数が増えると、弊害も増える。
カルテは「コピペ」+新規記載みたいな「うなぎのタレ」方式で書いている場合はそれなりに多いと思うが、
状態が変わっても、カルテ記載が変わらないために矛盾が生じることもある。
下手に書いてあるだけに、惑わせてタチが悪い。
*2

カルテの長短については、書くコスト、読むコスト、再調査するコストなどいろいろ個人差が大きく、
標準化が難しい。

Ubieで書いた初診カルテについても、実際に再診〜定期通院の状態には適しておらず再編集する必要はある(ちょっと過剰なのだ)から
Ubieは結構便利ではあるが、道具としては限界もあるのは事実だとは思う。

Ubieが最も有効なのは、Stock型ではなくFlow型の診療、つまり紹介⇄逆紹介型の基幹病院だとは思う。
ただ、でかいとこは、そういう予算つかへんわな。カルテ?当然自分で書くでしょ!みたいな感じだと思うし。
小さいところに勤めている年配の先生は、そもそもカルテの文字数増えるのを嫌う(世代間ギャップ)。

そこにUbieの売りにくさがあるように思う。

*1:電子カルテにぜひ搭載して欲しいのは診断時のレジストリ機能だ。電子カルテの平文のところにテンプレを容易に展開し、そのアウトカムも記載を義務化させることで、一般診療の全国的な統計化が容易になるはずなのだ。あれを初期段階で搭載していれば、日本の論文数の凋落ももっと防げたんじゃないかと思う

*2:さらに、カルテコピペを別の人に貼ってしまいわけわからなくなるミスもゼロではない。忙しい場合はなおさら。これを何度か経験したので、自分はカルテ本文に患者さんの名前の一部を入れることにした。情けない話だ

村上春樹がノーベル文学賞をとれる時代は終わったのかも

2022, 神石高原町。ちょっと2001年宇宙の旅を意識した

コロナ・コロナ・コロナ……
第7波は終わったところだが、ここに来て弊社にて院内クラスターが起こりそう…な一報が入る。だが、結果的にはシャレにならない状態にはならなさそうだった。

四回目ワクチン、二価ワクチンを打ってみました。
その後しんどかったんですが、ワクチンそのものよりも、仕事の予定をガツガツに詰められていたためだった。
後ろから撃たれるというのはこのことかあ。

村上春樹

私はまあまあのハルキストです。
今年も「村上春樹ノーベル文学賞をとれるのか?」と勝手に周囲が騒ぎ、勝手に落胆し、終わった。
もはやこの時期の不思議で変な風物詩になってしまっている。

あくまで個人的な感想ですが、村上春樹時代感覚は、もはや一世代古くなってしまった気がする。

村上春樹は、世界との「デタッチメント」と、旧来からの地縁血縁、共同体から外れた都市部の生活者のポストモダン的な問題を描いた。
そこには前世代の日本文学にない新しさがあったはずだ。

ある種の都市生活者には切実な悩み。
それを村上は可視化した。こういう悩みは僕だけじゃないんだ、と。
その問題は日本のみならず、グローバル化という社会の変貌の中で生きる者に共通であったため、村上春樹は世界的に注目されるに至ったのだとは思う。

価値観の相対化が他国より早かったのか、ポストモダン的な問題の先鋭化は日本(厳密にいえば東京)において早く、村上春樹は世界に先んじてこの問題を描くことができたのだと思う。

ただ、それは1980-90年代の切実なイシューではあったが、世代は進む。
もはや村上春樹と悩みを一にしていた世代は若者ではなくなってしまった。
今の若者が抱える悩みは、村上春樹の描いた問題とは別種であるように思われる。
(日本においては貧困化と選択肢の減少から、むしろ悩みや課題は先祖返りしているようにさえ思われる)

例えばちょっと前にノーベル文学賞を受賞した「カズオ・イシグロ」の方が、時代感覚としては新しい。
となると、村上春樹が「日本人枠」としてノーベル賞を取るというのはいよいよ可能性が低いんじゃないのかなあと思ったりはした。

極めつけはコロナ禍と、ウクライナへのロシア侵攻に代表される世界情勢のアンチ・グローバル化と情勢の不安定化である。村上春樹の文学世界が舞台とする、終わりなき日常の中で宙ぶらりんになった都市生活者、というような世界ではない。世界にストーリーが無くなったから、個々人がそれぞれのストーリーを見出し、生きる。

世界そのものが不穏に(しかしその反面ドラマティックに)変化してしまった。
そうなってくると、世界そのものに大きな物語が生まれ、個々人はその枠の中の相剋で足掻く時代である。

村上春樹の作品のもつ問題意識は、どうしても色あせてしまう。
つまり村上春樹は「時代遅れ」になってしまったのではないか。
その意味で、ノーベル賞は遠ざかったんじゃないかなあと思う。

ただ、賞って、一周遅れだったりする。
から、だからこそ受賞しちゃう、なんてことが今後あるのかもしれない。知らんけど。

中年の憂鬱

2022, 浜松

コロナ・コロナ・コロナ…
第7波はどうやらピークを越したようだ。
多分感染者数は今後もそれなりに続くとは思われるけど、相対的にいえば「ニュース」ではなくなってゆくみたいだ。
インフルエンザはぽろぽろでているようだし、この冬の戦い方は、また少し違ったものになるのだろう。

誕生日

48歳になった。

正直、あまり調子はよくない。

コロナ禍も3年目。
戦争も始まったし。元総理も暗殺されてしまって、この前国葬があった。
世界情勢には暗雲がたちこめて、世界経済も一筋縄ではいかなさそうだ。
かつての平和な日差しから一転陰ったように思える。

中井久夫先生が「マルス感覚」と名付けた、「乱」の雰囲気である。

* * *

個人的にも、いろんな人と会って話をして会食して、というかつての生活は、コロナ禍で自省を強いられる日々に。
しかし昔ほど読書も進まない自分に気づく。

そんな生活を続けているうちに、なんだか心が弱くなったように感じられる。
人と濃密な付き合いをすることに、怖気づいてしまう。
楽しいことをしても、楽しみを100%享受できない感じといいますか。

端的に、自分に自信がなくなった。
周りを巻き込んで何かを行うことに躊躇するようになってしまった。
根拠のない自信がなくなってしまった。
人を誘えない。誘って起こるいろんなケミストリーに、責任を持てない。

陽キャぶっていたけれど、陰キャやねんなあと思った。

幸い、仕事は好調です。
なんなら過労死しそうなくらいです(コロナを抜きにしても)。

もちろん職場内部の人間関係にはいろんなことがある。
いいニュースも悪いニュースも、ある。
ただそれを受け止め、組織は進ませるしかない。
傷ついた人には申し訳ないと思いつつ。
歩みをとめてはならない。
未来に対応しなければいけない。

新機軸を考えることは、本来楽しいはず。
ですが「いや今以上に忙しくなったらどうしよう…」とブレーキをかけてしまう。
これって、手元の仕事が忙しすぎるからで、多分バランスがちょっと悪いんだよね。

* * *

もうちょっとゆったりして、人(特に医師)を増やし、質にこだわった仕事をしたい。
けど、そのためには、今の陰キャ的態度じゃ、人は来ないだろうし。
アカレンジャーになりきれないまま無理やりやってきたツケが、今まさに来ている気もする。

老化

そういう意味で、メンタルはやや日陰気味ですね。
うちは朝礼をやっていて、各部署から一言ずつ話すというのを以前やっていた。
コロナ禍になり、それを2−3分の動画にかえた。
「理事長から一言」という社内動画、さっぱりアップしなくなった。
 正確にいうと、できなくなった。
 それは、そういう感じで、アジテーションに躊躇するようになってしまった。

とはいえポストコロナ、いやウィズコロナの世の中の変化に組織をうまく御していかなきゃいけないので、
それを考えないといけないんだろうな。


体調もあんまりよくない。
3月には軽く腰椎ヘルニアで、初めて寝返りできないレベルの腰痛に。*1
ひどいのは、老眼。どんどんすすむね。*2
6月くらいから血圧測ったらめちゃめちゃ高くて、降圧薬を開始したりしました。*3
順調に老いていると思う。

理性ではいまの自分の延長線上で、やるべきことは、たくさん思い浮かびます。
しかし、感情の点では全く衝動がでてこないのが、今の自分のよくないところ。

客観視すると、幸せな生活やと思うんだけど、満たされないのは心のありようのためか。
ミッドライフクライシス、意外に先が見えない。

や、相対的に見ると、あたしなんて、恵まれてんすよ。
こんなんで不満とか、自己肯定感の低さを言い出したらきりないんだけれど、それでも過去の自分の気概に比べて劣っているからなんでしょうね。

fujipon.hatenablog.com
わかるなあ。わかるよ。

hanjukudoctor.hatenablog.com
円楽師匠、お疲れさまでした。

*1:幸い今は落ち着きました

*2:これが本を読めなくなった原因かも

*3:クレアチニンもちょっと高めで、要注意

何もできない旦那

2022 福山

コロナ・コロナ・コロナ…
第七波。街の雰囲気は落ち着いた感じではあるが、医療機関では、まだまだ発熱→コロナ陽性、みたいなのはぽろぽろ来る。ただし陽性率はかなり落ちた雰囲気。

むしろ、「末端に浸透」という感じである。普通の行動をとっている人がコロナにかかったり。
介護施設にいたり、在宅の高齢者がコロナにかかったり。クラスターでもなく。

もうコロナ自体があまねくコミュニティに散布していて、事前確率の低い人もポロポロかかる。
逆に、あらゆる家族形態のあらゆるパターンが散見されて、一筋縄ではいかない。
一ヶ月前はよかった。若い子が熱出して発熱→「コロナ!」→解熱剤出して「頑張ってねー」
今は、なんか、微妙な症例が増えた。
ある種コロナの「ラガード層」への浸透といえよう。

「イノベーター理論」の5つのタイプ

「定年後の旦那が何もしてくれない」

「旦那が何もしてくれない」なんて話は女子…というかご婦人方の間ではテンプレの話題でありまして。
女性はなんやかや、ずっと忙しい。
娘や嫁は孫を連れてきて、その世話もする。
盆暮には親族が集まっておさんどんをしなきゃならん。
なんなら姑舅、自分の親の介護などもあったりする。
忙しい。ああ忙しい。忙しくて気が狂いそう!

それなのに、定年退職した旦那はずっと家にいて、朝から悠長に新聞なんか読んでて「ごはんまだ?」とか
ぬかしやがる。あたしがコロナのワクチンでぶっ倒れていた時でさえ!
飯くらい自分で作れんのか!

どうにかならんのか、この木偶の坊。
濡れ落ち葉。

みたいな話。

何でもできる旦那の方がいいのか

しかし、家事もさらりとひと通りこなして、趣味も持っていて、退屈しない会話もできて、気配りもできて…
なんて、自分の旦那にそんな能力が実装されたら、それはそれで、おそろしくないか?

イタリアの老人みたいに、街頭でナンパしたり。浮気したり。もしくは趣味に散財したり。
それはそれで自分の城をおびやかしはしないか?

浮気しない人だって、蕎麦打ちにはまって店を開こうとしたり、同意なく田舎暮らしを決断したりとか突然したりする。勝手に変なことをしだす。
男のロマン」は幼稚園児だろうと、大学生だろうと、ニートであろうと、中年だろうと、老人だろうと、いつでも現実から乖離していたり、突拍子もない。
小人閑居すれば不善をなす。

そう思ったら「何もできない旦那」は、マイナスではない。ただ邪魔で生産性がないだけだ。
上で述べたように、もっと悪いケースだってたくさんあるはずだ。
ゼロの方が、マイナスよりはましだ。

逆に旦那目線で考える。
ひたすらにつまらない仕事に追いまくられ「お小遣い」なんていう奴隷的な制度に縛られ、時間も金もない。
まるで手足をもがれたような状態で、ただひたすらに働く。
家のことには口をださず(出させず)、主体性を失い、会社と家の往復。
まあ、ある種の「飼い殺し」ではある。

そうして、定年退職となって、労働場から追い出されたら「何もしない旦那」の完成。
いや、それは「何もできない」のだろうて。

引退した牛馬は、屠畜され食糧にされることを考えれば、殺されないだけ「まし」なのかもしれない。
いや、そりゃそうだ。「年金」があるからな。

だから、何もできない旦那って、ちょっとうっとうしいだけで、最高な存在なんじゃないか。

ただまあ、女性の側からしてみたら、自分がクソ忙しい時に、のんびりされていると、まあ腹は立つ。

でも考えてほしい。
そうやってリビングで所在なさげに突っ立っている男は、牙を抜き、爪を抜かれ、人畜無害と化した人間の燃え滓みたいな状態じゃないですか。あなたがそれを望んだんでしょう?
家庭に波風が立たぬよう、数々のリスク因子をクレンジングした結果できあがった「つまらない旦那」じゃないですか。甘受しないといけないよね。

ま、素直に「ドムス化(家畜化)」される旦那も旦那だとは思うが、家畜化って楽だからね。
基本的に「男はことなかれ主義」だから。


(追記)
しかしこんなこと書いてる私はといえば、お小遣い制でもなくて、そして基本的に家事もしない。
弁護する余地もなく、クソじゃん。
と気づいた。

コロナ後の世界

2022, 岡山県

コロナ、コロナ、コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)

うーん。第7波!
 厳しい!

第6波にくらべても、第7波は、コロナが完全に「当たり前」の世界。
第5波くらいまではコロナは「隣の隣」くらいだったのが、第6波で「隣」の話になった。
第7波では、職員の感染は当たり前になり、すべての部署・すべての職種でコロナの感染者が発生している。

今は、我が家もコロナはまだ入りこんではいない。
が、いずれ、私を含めた家人の誰かがコロナになるのは避けられない情勢だと思う。

まあ、とにかく、コロナは当たり前になった。
一方、私の友人たちも含め罹った人たちも「すげーしんどかった」とはおっしゃるものの、
まあ普通に生還し、もとの生活に戻るのが当たり前になりつつある。

そういう意味では「風邪」とまではいわないが「一つの通過儀礼」くらいの感じになった。

ただ、高齢者に対して、どうするのか、という社会全体の姿勢を明確にすべき時期にはきていると思う。

「8割おじさん」こと西浦先生の、この記事。
www.m3.com
ポストコロナについて、研究者の現在の知見としては非常にわかりやすかった。

要するに、コロナはスペイン風邪のように「一過性に猛威をふるう、そして過ぎ去る大流行」ではなく、変異を繰り返しながら、世界各地にはびこり続ける。
季節や地域で流行を繰り返す、よくある感染症の一つ、みたいな存在になる、という予想だ。

治療薬などにブレークスルーがない限り(そして、病原体の本質として、症状を完全に雲散霧消するものはなさそうだ)、あんまり効かないかもしれないワクチンのブースターを頼りに、共存するしかない、ということか。

なんという、救いのない結論か…と思う。
が、まあリアルな着地点かもな、と思う。

ポストコロナ

コロナを完全に封じ込める策は、おそらく放棄する日は、近い。
世界各国がそうだからだ。
その意味で5類相当は、当たり前なのかもしれない。
 ただ、5類になったところで、病気が軽いものになるわけではない。

ただし、日本は、世界に冠たる高齢社会。
この戦略が、もっとも裏目にでる国でもある。
特に、我々ヘルスケア業界は、二律背反に悩まされるだろう。

高齢者を過度に保護する場合は、医療リソースが足りなくなる。
しかし、高齢者に対して英米のような「突き放した」政策を取る場合、ヘルスケア業界の最大手顧客を消耗し、業界そのものが立ち行かなくなる可能性は高い。

なので、その「間」をとるようなジャパンオリジナルが必要なのではないか。
というのが西浦先生の提案であり、国民の合意は政策で決定されるべきではないか?ということだ。

ただ、岸田政権……「意思決定」ができない岸田政権……

高齢者の「選択」

しかし高齢者にとっては、一体どうなんだろうか。

孫やひ孫からの感染が原因で、命を失ってしまうのも不幸だ。
だが、コロナで施設の家族面会も出来ず、家族にも会えないのも不幸だ。

コロナのせいで、海外はもとより国内旅行にも行けない、親族や友達とも会えない。
唯一の趣味であったカラオケ喫茶(笑)にも行けない。みたいな状態で、仮に長生きが出来たとして、幸せなのか。


ご高齢の皆さんも、コロナ禍で丸二年、耐乏生活を強いられている。
でもこれ、「スペイン風邪」とかになぞらえて、1−2年でこの状況が終わる前提だった。
だから、耐乏生活にも耐えられている。

でも、これ「あと10年続く」ってなったらどうよ?

流石に若者よりも残余命が少ない高齢者にとっては、結構難しい問題だと思う。
「死んでもいいからナポリに行く」(そんなことわざありましたね)とか
「死んでもいいから同窓会を開こう」という選択をする人たちがでても
おかしくはないだろう。

高齢者は、若者よりも、社会生活も、健康状態も、経済状態も、多様性の振れ幅が大きい。
一律に処していい集団ではない。

社会のコンセンサスを、一体どうやって取るつもりなんだろう?
高齢者のことは、高齢者に決めさせる?

まあその場合、重症化した高齢者を受け止め、医療がパンクするんだろうな。
人間は若くたって年寄りだって「エピメテウス(後に考える人)」の末裔だもの。