半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

コロナを経て得たもの

2023, 広島県

コロナ。
コロナはまだあるし、なんなら懸念された通り第9波も来そうになっているが、5月8日の5類落ち以降、新興感染症であり、根絶すべき感染症としてのコロナはなくなった。
転校生の「ログインボーナスモテ期」みたいなやつは終わったわけだ。
そうなるとコロナはそこそこ伝播力の強い呼吸器感染症ということになる。

これで、一体どういう世の中になるんだろう。
幸い、サミットも大きな問題も起こらず、終わってよかったよかった。とは思う。*1

コロナによって我々が得たもの・失ったもの

分断

 ソーシャル・ディスタンスという言葉で、物理的にも分断された我々の生活。
しかし、それだけではなく、コロナという感染症に対する理解の違い、態度の違い、ワクチンという予防策に対する受容の違いなど、個々人の差があぶり出されたように思う。。
またリテラシーや政治的な信条の違いなどのさまざまな分断が、はっきりぶちまけられたようにも思う。

社会は元に戻りつつはあるけれども、一度大喧嘩をした人が、元の関係性には戻らないように、なんらかの禍根を残すのだろう。
うっすらと懸隔を感じつつ生きるのか、それとも「雨降って地固まる」になるのか。
それも人それぞれだとは思うが、「ワクチン脳」「コロナ脳」と全存在を賭けて罵り合った両陣営が、融和することはないように思う。

意思決定の拙劣さ

 残念ながらそれぞれの政府の意思決定にはかなり差がみられた。
コロナ序盤、独裁政権は概ね判断が果断で、スピード感はあった。
それゆえにコロナ禍序盤には「民主主義よりも独裁政治の方が、意思決定の上で優れているのでは?」みたいな言説もあったし、ひょっとしたらそうなのかも、と僕も思った。
しかし中国は「ゼロコロナ政策」で盛大にオウンゴール。大失敗をしたし、2022年2月のプーチンウクライナ侵攻とあわせて、「やっぱり独裁はあかん」と思いなおして、今に至る。

日本の意思決定は比較的遅く、後手を踏んだ部分も多かった。
にもかかわらず現場でのマイクロマネジメントがいいせいで、かなり死亡数は抑えられたように思う。
むしろ、やや遅めにしかしかなり金をばらまくコロナ政策で、コロナ明けてみると、ツケ払いの多さに慄いている日本。
日本は、判断が遅く、それを終わらせる判断はもっと遅い。

良くも悪くも各国の「悪いところ」が顕著にでたように思った。
振り返ってみると、安倍総理のフライング休校と、安倍マスクは、ピント外れの政策だったとは思うが、動物的な勘であのタイミングで独断したのは、なかなかのスピードだったと思う。
専門家会議の提言などは、あのフライングのあと間違いなく採択されやすくなったとは思うし。

リテラシー反知性主義

陰謀論に堕した人を輩出したのが、今回のコロナ禍だったんじゃないかと思う。
別項でも論じようと思うけど、メインストリームの科学的な立場からの発言と、政府の政策決定に対する不信が絶妙にミックスされた結果、「反知性主義」的な陰謀論者が沢山いた(社会が落ち着いた今も絶賛陰謀論中である)。

もちろん、主流に対する懐疑主義者は、昔も一定数いたとは思うのだけれども、
今はそういう人がSNSを使って発信をし、そして連帯することが可能になり、目につきやすくなった。

ただ、主流派の中でも、ワクチンは、結局何回打つべきなのか、打ったらうっただけ利得があるのか、という点についてはゴニョゴニョ…という感じであるし、マスクの効用についても、ワクチンの副作用も、今後の検証が待たれる。この辺は確かに曖昧で、専門職としてニュースをピックアップしていても、

も、ワクチン推進派は、四回、五回、と回数が増えても「回数が増えれば増えるほどいい」みたいな受け止めをしていたが、それはそれで、冷静に考えるとあまり正しいとはいえないかなあ、とは思う。
私は次また打つけれども*2うつのをやめた現場の医師も意外に多いのだ。

*1:油断したのか5月末に東京出張して遅ればせながらコロナに罹患してしまいました。大きな後遺症なく復帰しましたが、残念な出来事はありました

*2:6月に入って打った