半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

「勝ち」は難しい。

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2022, 兵庫

コロナ・コロナ・コロナ…(Covid-19, SARS-CoV-2)
第六波は一応ピークアウトしているらしい。
が、実は僕のいる街では、感染者数の最大値を更新し続けている。
地方都市だからだろうか?
目立った歓楽街はないこの街では、会食シーンを震源地とする流行より、学校や介護施設の流行の影響が大きいということなのだろうか。
第六波はそんな感じでこの街を苦しめている。

戦争

ロシアがウクライナに侵攻し1ヶ月が経つ。
ロシアが電撃戦キエフウクライナを掌握するのかと思いきや、そうはいかず。ロシアはじっくりとウクライナの戦略要衝に侵攻している。

電撃戦であれば、市民へ被害は最小限で済むだろうしウクライナ国土への被害も少なく済んだはずだが、じっくりと持久戦となると、双方の被害が甚大なものとなり、両国民間の溝も深まる気がする。

こんな「古典的」な戦争が21世紀にヨーロッパ(正確に言えばユーラシア、だろうが)で行われるとは思わなかった。

我々は、やっぱり、平和ボケしていだんだろう。
戦後の「平和教育」って、例えばさ、昔話の凄惨なシーンとかを弱めて結末書き換えちゃっているじゃないですか。
カチカチ山で泥舟に沈められたたぬきは降参したら助命されたし、なんなら旧作ではカチカチ山のおばあはたぬきに殺されて「狸汁」に調理されて、おじいさんに供食されていた。
猿かに合戦も猿は石臼に踏み潰されるところを、謝って最後はみんなで仲良く柿を食べる。

そういう価値観。できるだけ流れる血は少ない方がいい、なんていう価値観。
御伽噺の残虐シーンすら受け付けないような価値観。

そういう価値観の僕らは、戦争なんてものがあると絶句するしかない。あっても都合のいいキレイな戦争であってほしいと思ったりする。
電撃戦で、市民には手を出さす重要な拠点だけを無血開城させる、なんてシナリオを考えていた。そうあって欲しい、と思っていたのだ。
だから、橋下氏も「降伏した方がいい」なんて言説を唱えて、なんとも思わなかったわけだ。

現実はもっとシビア。
ロシアも電撃戦が不可能であれば、じっくり攻めて民間施設も攻撃しまくり。
そして攻め込まれるウクライナ国民も我々とは違い全く平和ボケしておらず、攻めてくるロシアをきっちり泥沼に引き摺り込んで国土を侵した代償を償わせている。
これさえも我々の心性とは著しく違う。

ああこれこそが人の世だ、と、呑気なことを言うてる我々は、世間知らずの平安貴族のようなものだ。末法の世は続いている。

フリードマン『100年予測』

このロシア情勢なんとなく既視感があったので、昔読んだフリードマンの『100年予測』を読み返すと、2020年あたりにロシアがヨーロッパとの緊張関係を高めることがきっちり書いてあった。
これは2009年に刊行されたアメリカ視点で、地政学的な分析から今後100年の世界情勢を予測した本。

ただし予言の細部はかなり異なる。
そもそもこの本には2010年代には「中国の中央政権の弱体化」が起こると明記されていた。
まあその結論に至るまでの論理過程はきちんとしているが、結果はそうではなかった。そう考えると習近平は、相当うまくやっているということになるのだろう。
2020年代のロシアについては、ロシアを取り巻く環境と、ヨーロッパとの関係性を踏まえると、ロシアはヨーロッパとの間に緩衝国がないことに焦りと苛立ちを隠せず、必ず行動にでてくる、という書き方をしていた。
ロシアにはロシアなりの闘う理由がある。
これは、太平洋戦争の際の大日本帝国の思考過程に、非常によくにている。
(というか、アメリカの行動様式が常に同じなので、敵対国はどうしてもそうなる)

本で描かれているシナリオではロシアは「東欧を壁として西側諸国と冷戦のような状態になるが、結局のところ自壊するだろう」とさらりとまとめられていた。
そういう意味では現実のロシアはかなり分が悪い。そもそもウクライナはもともとロシアの勢力圏。ウクライナ国境とモスクワはかなり近く文化的にも親和性が高い。そこに地上軍をもって制圧しないと解決しないのは、予想されたシナリオよりロシアが苦戦しているということになるのだろう。
だから、こんなに侵攻さえもうまくいっていない状況もある種当たり前なのかもしれない。

勝ちの記憶

それにしても今回のロシア軍のウクライナ侵攻については、勝つもんだという思い込みが強すぎるせいで、計画が綿密でなかったように見える。
大祖国戦争で勝利したエリアでもあり、勝利の記憶が濃厚なんだろうと思う。
考えてみれば、ソ連もロシアも、戦いに弱いというイメージはない。経済的に負けたけど、戦争自体では俺たちは強いんだ、というイメージはロシアにあって、今回のウクライナではその変な油断に足元をすくわれたような気がする。

大日本帝国も、日露戦争で大勝利した後、相手を侮るようになり、負けた。

勝つ、ということは、勿論実利を得るわけだけど、その反面、反省するという力を無くす。

月並だが「勝って兜の緒を締めよ」、ということなんだろうか。
その意味ではベトナムアフガニスタンでほどほど負けの記憶を持っているアメリカって、やっぱりしたたかな国なんだなあ、とか思ったりもする。

* * *

21世紀になって、世界はグローバル化し、国という国境を超えて我々はコスモポリタンとして生きる、と思っていたが、
全くそうではない状況に21世紀はなるのだろう。
今にして思えば、もっと海外旅行しておけばよかった。