半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

第五波

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2021, 香川

コロナ・コロナ・コロナ(Covid-19, SARS-CoV-2)……

オリンピックは終わった。
パラリンピックが始まった。*1
7月から8月は、地方に住んでいる自分にとって、東京大阪ほか大都市でぼうぼうに燃えていたコロナ感染の業火が、自分の住んでいる街に燃え広がるのをただただ諦念と共に眺めていた、という時期だった。

少人数での会食も開催できなくなり、ライブハウスで細々と行われていたセッションも厳しくなり、
そして夜は静かに、長くなった。*2

考えることや考えるきっかけは十分あるのに、この2ヶ月は省察もできていない。
なにか頭の上に黒い影が覆いかぶさっているように感じる。
目先の仕事に追われている、のか、もしかして考えることが、何らかの力で阻まれているのか。

精神的にはやや異常な状態にあることを感じている。*3
時間は沢山あるのに、読む本の量さえ減ってしまっている。
 多分、ある種のうつ状態といってもいい状態に置かれているのだと思う。
 目に見えない血が、さらさらと流れて、喪われているのを感じる。

こんな中で、自分達の国の基本方針にもかかわる「衆議院選挙」っていうものがあるらしいね。
えっ?今?と思うけど、そりゃまあやらなきゃなるまい。
けど、どうするの?

今の政治と行政のありように不満をいだいている人は沢山いると思う(逆に、満足している人っているのかな?)。
しかし、政権交代が起こった時に、よりよい政治になるという保障もない(というか、口さがなくいえば、うまくいかない保障はかなりありそうだ)*4
殴られるのと、蹴られるのとどっちがいい?
 みたいな選択を、きっと僕たちは迫られることになるのだろう。

* * *

個人的な生活としては、東京や大阪に繁く出張に通っていた生活から足をあらい、今年の5月くらいからは、週末は田舎の古民家にこもってアウトドア的なことをしている。
薪を割って焚き火をしたり、肉を焼いてみたり。
蛍を見たり、夜は星を見ながら物思いに耽ったり。
ドローンを飛ばしてみたり、誤操作でロストしてみたり(失笑)。
少数の友人たちと穏やかに話をしたり。

コロナ禍までは年間20回から30回都会に赴き、経営セミナーや医者として学会に参加したりしていた。
大都市で服や奢侈品を購入したり、夜は飲食店で会食や飲み会。
はたまた趣味のジャズ演奏を聴きに行ったり演奏したり。
週末は、都会の喧騒にサーフライド。
クロックアップ」するのが習慣だった。それで平日は頑張れた。メリハリってやつね。

今は、週末、視界に街灯が一つしかないような田舎で、焚き火の揺れる火を見つめぼんやり考えることが多い。
クロックダウン、いや、チルアウト、と言ったほうがいいだろうか。

そういう僕と僕の率いるチームは、このコロナ禍、アクセルを踏んでいない。踏めていない。
全医療関係者がチームを組んでコロナに取り組んでいる中、一抹の申し訳なさもある。
(もちろん発熱外来もやったり、コロナ患者病床確保もしていたり、必要なことはやってはいるんです。
 ただ、戦場でいう「一番槍」のような際立った武勲や八面六臂の活躍はできていない。
 とてもそういう精神状態にないのだ。
 とはいえ、第5波になって、今までとは異なり地方都市まで広がった燎原の火の粉を振り払う必要もでてきた)

医師として、必要なことはしなきゃいけないけれども、
医療経営者として必要なのは、おそらくその次に来る時代の流れ、時勢の変化を読みきることだ。
今はアンテナを張りつつ、それをぼんやりと考えている。
まだ、よくわからない。

*1:個人的にはオリンピックの開会式で松井秀喜に肩を借りて聖火ランナーをつとめた長嶋茂雄終生名誉監督が、パラでは、HALみたいなパワードスーツみたいな補助具を付けてめちゃめちゃ飛んだり跳ねたりしてくれたら面白かったのにな、と思う。とはいえ、オリンピックもパラリンピックも開会式観ていないけれど。

*2:広島県もまん防から緊急事態宣言下におかれてしまう。

*3:中井久夫氏はこのような異常な精神状態を「マルス感覚」と名付けたことがある。もちろんアフガニスタンの情勢も、このマルス感覚を共振せしめる一大要素だと思う。

*4:政権と行政はアピールが下手なのは間違いない。いわゆるワクチンの確保やワクチン接種に関するロジ、医療の確保や休業補償については、西欧諸国と比較して決して政策として劣ったものでもないのだ。アウトカムだってそんなに悪くなかった。ここまではまずまずうまくやっていたのだが、デルタ株によるマイナスのゲームチェンジは痛打になったと思う。耐乏生活が限界に来たところに、デルタ株の流行が重なってしまったし、オリンピックの強行で緩みも招いてしまった。