半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

コロナの兵站

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尾道の街にて。自分の中の中学生男子的なエロを憑依させて撮影

コロナ・コロナ・コロナ……(Covid-19, SARS-CoV-2)

コロナ感染者数は明らかにピークアウトに転じた。しかしまずまずの感染者数を今日も叩き出している。
第4波の最高値くらい。
僕らが慣れっこになってしまっただけだ。

我が市はSNS*1でコロナ感染者数とかの情報を届けてくれるのだが、一日の集計の報告が、日に日に遅くなっていた。
先週あたりをピーク。
落ち着いてた時には昼頃に発表されていた数字が、夜9時くらいにずれ込んでいた……
中の人がへろへろになりながら集計しているんだろうな、と慄然とした*2
一日あたりの感染者数は若干ピークアウトしているが、それの積算である、重症患者数や病棟の逼迫率はまだまだ解決はしていないが、これも若干減少傾向には転じたようだ。
波が大きかった分、引き波も大きい。

緊急事態宣言の延長

広島県も本当だったら緊急事態宣言は9月12日で終了するはずだった。
だが、収束する気配がないということ、過去の動静からいってシルバーウィークで人流が起こればまた感染流行が起こってしまうために延長になることが決まった。

もっともだよなあと思う。
医療に携わる人間として、
その決定は妥当かなーとは思う。
ただ、数理モデルとしてそれは妥当かなとは思うけど、可能なのかな?という気はする。

もちろん飲食・観光業などの業種がもう保たないんじゃないか?という懸念もあるけど、
単純に、人間の生理的な欲求を無視した指示なんじゃないか?という気もする。

たとえば、「ではみなさん!今から1分間息止めてください!」
って言われたって、ほとんどの人は無理じゃないですか。
そういうことを要求されているような気がする。

一部の人にとって、人との交流を避けて家に閉じこもっている、ということはかなり難しいことだろう。
多くの人にとっても、緊急事態宣言というのはさすがに長く耐えられるものではない。

東京なんて7月12日から緊急事態宣言である。もう二ヶ月続くのがさらに延長だ。
広島県なんて8月下旬からだからまだかわいいもんだ。

人間はかなり非合理な存在だし、耐乏生活は色々な「現在」を犠牲にしてやっている。
それがヶ月単位で続けられるわけはないのだ。

緊急事態宣言というのはカンフル剤のようにしか使えない。
法的拘束力がないからだ。
それを延長し続けると、遵守率は明らかにさがる。
それを非道徳的であると責めることはできないのではないかとも思うのだ。
丸3日うんこを我慢させて、うんこ漏らして怒られるようなものなのだ。

昔から「百姓は生かさず殺さず」みたいな言葉がある。
軍隊の優れた指揮官というのは部下の将兵たちの疲労度を把握して、消耗しすぎないように配慮していた。
それを読み間違えると、百姓は一揆を起こすし、将兵も反乱する。

そう思うと、どうせ守れない命令をすることと、守れる程度の命令にとどめる、
どちらがよいのだろう?

一つ言えることは、
一度でも守れない命令を出すと、もし次の命令が妥当だとしても、人はその命令を守らなくなる。


医クラ

我が友人の医クラの人たちを見渡してみると、コロナ禍が始まってから驚嘆すべきモラルで制限された生活を続けている人が実に多い。普通の人の緊急事態宣言レベルがもう一年半続いている。
もちろんコロナ病棟での診療をしていたり、発熱外来をやっていたり、コロナ診療に携わっているから、もあるなのだろう。

しかしそれは、職業柄コロナに関してある程度正確な情報を入手し咀嚼できるという情報の優位があり、ハードな仕事だがこの情勢下仕事がなくなるという恐怖からは無縁であるという点で非医療者よりは精神的には随分優位である部分を無視してはいけない。

一般の人たちのコロナ禍の中のあかん行動に憤る気持ちもわかる。
僕もちょっと憤りは感じる。
が、一般の人は、コロナというわけのわからないものに「いつまで」の期限もなく立ち向かっているということは、わきまえておきたいと思う。*3

当社も会計に関しては財務コンサルに外注しているが、東京大阪の財務コンサルは月に一度出張に来ている。
もちろんアフター5に会食などはせず出張にいってもそのまま帰るだけのようだが、それでもワンルームマンションの中でテレワークをして碌に外出もできないよりはましだ。
みな「緊急事態宣言」の中でそれなりに落とし所を見出している。

リテラシーの高い層はエレガントに生活をFixするし、リテラシーの低い層は盛大に規範から逸脱するしかない。
お金がなければ家も狭い。ステイホームはかなりしんどい。

* * *

話を戻す。

緊急事態宣言は、本来ある種パルス療法のようなものとしてしか使えないのだ。
緊急事態宣言をダラダラと延長するのと、短い緊急事態宣言を出したり引っ込めたりするのを、本当は秤量したほうがいいんじゃないかと思う。
もしくは長期耐乏を可能にする「ロックダウン」の法制化か。

行動経済学」を声高にいうわりには、人間というものの非合理さについて無神経なんじゃないかなーとは思う。
あるいは、もう単に余裕がないだけなのかもしれない。

なんのことはない、敗戦の教訓として、大日本帝国軍の「兵站の軽視」というのを言われるけれど、日本人ってやっぱり危機に陥るとロジを軽視する傾向で行動するよなあと思う。

コロナの最初期に、イタリアの医療従事者が「10時間ぶっとおしで働かされた!死ぬ!」とか言っていたのを覚えていますか?
本来はそれくらいでありたいものだとは思う。
日本の大衆は優秀すぎる。

* * *

一つ言えることは「感染の流行を防ぐ」ことが目的なのであって「我慢をする」ことが目的ではない。
我々は、楽しむことを禁止されているわけではないのだ。
手段と目的を取り違えている事例が多すぎると思う。

*1:LINE

*2:今はちょっとましになっている

*3:医療者でなくても情報にはアクセスできるし、読めばわかるはずだ、というのは、一般の方のリテラシーのレベルを過大評価している。さらにいうと、一般向けに情報をわかりやすく伝えてくれるはずのメディアが情報をただしく解釈も発信できていないことが状態を悪化させていることも斟酌すべきだ。