先日、ある人のお話を聞きました*1。鳥取県某市からファッションを配信している会社の社長の方です。
時代の流れをうまくとらえて経営展開をされている方なのですが、とても示唆に富むお話でした。
販売業には、広告・宣伝は欠かせないわけですが、消費行動自体が根本的にかわりつつある時代であり、いろいろと試行錯誤をされている話が、とてもためになりました*2。
昔は「インターネットで流行っていること」と「リアルで流行っていること」は解離している時代が長かったんですけれども*3、現在はインターネットで流行っているものは、リアルでもむちゃくちゃ流行る。インターネットで反響があったことは売上にものすごくダイレクトに直結するそうです。
インターネット≠リアルな社会を経て、インターネットで流行っていることが、リアルで流行る必要条件である時代から今はインターネットで流行ることがリアルで流行る十分条件となっているといえそうです。
ただ、インターネットで流行らせるのは単純な資本投下では難しいんだよね。テレビの時代は、金さえかければそれができたみたいだけど、今はそうやってお金をかければいいってもんじゃない。「海外で大人気」みたいな誇張表現も、見破られてしまう。とおっしゃってました。
「百貨店の地位は、私はもうすこし下がると思ってます。
情報のプラットホームの地位。
少なくとも「新宿伊勢丹で売っているものは間違いがない」みたいな感覚があったわけなんですけれども。
これが今後も維持できるかどうか。
例えばね、新宿駅の構内はものすごく混雑していますよね。
あれだけ沢山の人がいますけど、京王百貨店に入った途端に人がぱたっといなくなる。昔はそうじゃなかった。
もう、マスが行く場じゃなくなりつつあるんです。
つまり、百貨店においても、もうみんなに見てもらえない。
――じゃあ、どこに店を出すというと……」
ええと、その方が今後やろうと思ってることなんで、伏せておきますね。
これはどの業種にも言えることで、いつも思うんですけれども、すぐれた方の共通点は、まず思考の着眼点が「生活者としての、素朴な一言」から始まりますね。本当に一般的な人が、仕事帰りにつぶやくような、一言。
それをいわゆる「経営戦略用語」なり「医学用語」なりの専門用語に翻訳し、その上で専門的な論理展開ができる。
「日常語での問いかけ」と「やや専門的な考察を踏まえた解答」がいいバランスで共存しているわけです*4。
いつも私も、患者さんに説明する時には「わかりやすく」ということを心がけていますが、それって2つの世界(「一般語」の世界と「専門用語」の世界)の翻訳なんだよなあ、ということを改めて思いました。