半熟ドクターのブログ

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ザード

Zard坂井泉水さんが、亡くならはった。

 人気ポップスグループ「ZARD(ザード)」のボーカリスト坂井泉水(いずみ)(本名・蒲池幸子)さん(40)が、入院先の東京都内の病院で死亡していたことが、28日明らかになった。

 警視庁四谷署によると、26日午前5時40分ごろ、坂井さんが慶応大病院(新宿区)の病棟脇の地面にあおむけに倒れているのを通りがかった人が発見した。

 坂井さんは、後頭部を強く打っており、同病院で手当てを受けていたが、27日午後、死亡した。

 同署によると、坂井さんは避難用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられ、事故死と自殺の両面で調べている。争った形跡はなく遺書もなかった。

 坂井さんの所属事務所によると、坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんと診断され入退院を繰り返し、今年4月には肺への転移が見つかったため再入院していたという。

 坂井さんは、ポップスグループ「ZARD」のボーカリストとして、1991年にシングル「Good‐bye My Loneliness」でデビュー。その後、春の選抜高校野球の入場行進曲にもなった「負けないで」(93年)、「揺れる想(おも)い」(同)などがヒット。99年に出したベストアルバム「ZARD BEST」は300万枚を超える売り上げを記録した。ZARDはポップスグループだが、近年は坂井さんのソロ活動だった。

(読売新聞より)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070528it04.htm?from=os1

 嗚呼。まだ若いのに、残念です。

 Being系列のアーティストが流行っていた頃、僕は大学生活を送っていました。街には、Zardが流れていました。自分の青春期ともいえる90年代を代表する音楽であったと言っても過言ではないでしょう。

 だがその頃の自分は、Jazz一辺倒の生活でした。大学では軽音部Jazz(いわゆるJazz研ですわ)に入り、あげくのはては留年。巷で流れているJ-popに最も背を向けていた頃です*1。ゆえに、Zardはシングルもアルバムも一枚も買ったことがない。

 しかし、その僕でさえ数曲は口ずさむことが出来ます*2から、やはりZardは、そして坂井さんは時代を代表しうる存在だったと言っていいでしょう。

 ところで、Zardが一時期J-popの代表になっていた時に、しかし、僕が気になっていたのは、Zardというバンド名のイントネーションでした。

 ザー「ド」? Zardo?

 いや、ザー「ド」じゃねえだろ、「ザ」ードだろうよ、と。英語発音なら絶対に「ザ」ードだと思う。

 B'zもそうだし、WANDSもそう。今にして思えば、こういうケツ上がりイントネーションの名前はBeingに多かったように思います。

 しかし、あの頃、例えばオサレなラジオ(J-waveとかそういうの)で主流だった、日本人だけど所々英語のフレーズを織り交ぜてしゃべる「あ?ごめんあたしアッチが長いからつい英語がでちゃったわ」的喋りの人達は、"Zard"をどう発音してたかなあと、今になっては思う。

 という、しょうもないことを人生幸朗ばりにぼやいていたわけですが、もうこれからはぼやくことも出来ません。今となっては「ザ」ードであろうがザー「ド」であろうが、Zardの歴史は終わり、我々の青春時代のイコンも終わりました。残念なことです。

 多分、20年か30年経ち、もうちょっと日本が英語圏に毒されているであろう時代、娘に昔話をすると、きっときかれるだろう。

「なんでザー『ド』なの?」

「うーん。 でもね、その頃は、そういうイントネーションだった」

「ふーん、へんなの」

Zardというバンドは、個性個性とか言い出した日本の社会の過渡期の中で、とりたてて個性を持ちあわせなかった多くの人に、いくばくかの勇気と元気を与えたんだよ」

「おとうさんもそうだったの?」


「ああ、そうだな。確かにそうだった。」

*1:いまはそういうジャズ原理主義から離れて、音楽を幅広く聴けるようにはなっています

*2:ま、サビだけですけれども。キャッチーなサビに対してAメロ,Bメロの腰が弱いというJ-popの弱点は、このBeing商法によって定向進化させられたと思っています