よくでてくる説話がある。
地獄と天国のお箸の話、というと知っている人も多いかもしれない。
天国も地獄も長いお箸をもって食事をする決まりになっている。
地獄では、うまく食べられないから、争い、他の人の食事を奪ったりして食事ができない。
ところが、天国では、みながお互いに食事を食べさせあっているから、楽しく食事ができている。
ようするに天国も地獄も同じ。利他精神をもっているかどうか違いなんだ、という話。
利他精神はともかく、誰かのために生きる方が、自分一人のためだけに生きるよりもずっと力がでることは、自分の経験に照らしてみても確かだ。
家族、妻や子供のためだと思うと、仕事も頑張れる。
経営者というのも、経営者の高い報酬のために働くというのではつまらない。職員や患者さんのために働く、と思えてこそ、知力・体力をしぼりつくしたいい仕事ができるというものだ。
もちろん「みんなのため」というのを前面にだし、その実「やりがい搾取」のようなものはどうかと思うが「自分が生きる」ためだけに働くよりも、背負うべきものを背負った方が、自らの力のリミッターをはずすことができるような気がする。
要するに「誰かのために働く」ことは、 今風に言えば、自分に「レバレッジ」をかけているのと同じことだ。
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わたしは中小病院の*2内科もしつつ、いまだに基幹病院での肝臓内科外来も続させてもらっている。肝臓ガンの治療手技からは手を引いて久しいが、驚異的な粘りを見せ存命し僕の外来に通い続けている肝臓癌の患者さんも何人かいる。ネクサバール(Sorafenib)開始してLong SDでもう8年とかね。
係累がいない人って、正直同じ治療をしても、そんなにもたない印象がある。
自分独りのためにしんどい治療に耐えて頑張るというのは限界があるのだと思う。見られているからこそ頑張れることもある。
さらに「誰かのために生きている」人は、もっと力をふりしぼれる。
これは障害を抱えたパートナーやお子様をもった担癌患者さんを診させていただいた経験からだ。
皆、こちらが頭を垂れるような踏ん張りをみせて死線や苦痛を乗り越える。
乗り越えている。
「あいつを残して死ねん」ってやつ。
もちろん最後には人は亡くなる。
だが総じて、他人のためなら、人は一線を超えた力を出せると思う。
もちろん、それが幸福かどうかは、別の話だがね。
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人と人との繋がりっていうのは、20代30代40代に僕らが思っていた以上に、大事なものらしい。
「マイルドヤンキー」という用語にもあった、収入は低くても地方に定住し、地元との繋がりを大事にする生き方は、金額には計上できない社会資本を多くもっている。彼らは低収入ではあれど、それほど不幸ではない。
もちろん人間関係そのものは煩わしいものでもある。
人の悩みなんて、つきつめていうと金か人間関係の二つしかない。
でも、あるないのレベルで問えば、人間関係なくては人は幸福ではいられない。
ひょっとしたら「失われた30年、40年」の主犯は、少子高齢化そのものではなく、単身世帯化にあるのではないか?
とまでいうと、言い過ぎだろうか。
でも、バブル崩壊のあと「清貧の思想」というのが流行ったが、清貧でおしとおすのなら我々はもっと人間関係に注意をはらうべきであったと思う。
お醤油をご近所さんと貸し借りできるような関係でないと、貧しくても幸福な暮らしはできない。
孤独な金持ちは不幸だ。
だが、孤独な貧者は、不幸以前の問題なのである。
あなたは大丈夫?
もちろん、今人間関係には恵まれているかもしれない。
でもさあ、20代の頃は一緒にご飯行く相手には事欠かなかった。30代でもそうだ。
でも私のことでいえば、40代、ふと独りでご飯となった時に、食事に誘うことに気遣いなどから躊躇してしまう自分がいる。
宇宙の始まりから終焉のように、宇宙は膨張し拡散する。
銀河系同士はどんどん遠ざかる。
人間関係もそんな風に、年を減るとどんどん距離が広がるように思う。
40代でそうなのだからその延長線上の60代、70代にはどうかというと、ちょっと恐ろしい気がする。
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反面、誰かのために生かされるということもある。
天涯孤独の身であれば、もし意思決定権が失われて、自分でご飯も食べられなくなってしまっても、ACPなどで来し方行く末を決めていれば、まあ、自分の望む決着をつけることができる。
だけど、たとえどんな高齢であっても、肉親が亡くなるということが受け入れられない「熱心な親族」の感情論にひっぱられ、適切な幕引きのチャンスを逃してしまい、胃瘻なんか造設されちゃう、なんてこともある。
こうなると、「地獄への道は善意で敷き詰められている……」とでもいいたくもなる。
ま、そういうことも含めてのACP改め「人生会議」ということだな。
その他のBlogの更新:
半熟三昧:
『妻語を学ぶ』黒川伊保子 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『アイドル、やめました』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『死刑 その哲学的考察』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『よいこの君主論』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『バトルグラウンドワーカーズ』1・2巻 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
Blogの更新間隔が空いてしまうと、たくさん本読んで書評書いて、みたいに錯覚してしまうな。
12月はいろいろと忙しく、Blogはサボりがちでした。