半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

サンクコスト

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書棚の一部

サンクコスト:
埋没費用(まいぼつひよう、英: sunk cost 〈サンクコスト〉)とは、事業や行為に投下した資金・労力のうち、事業や行為の撤退・縮小・中止をしても戻って来ない資金や労力のこと[1]。
Wikipediaより)

青年期から今までずっと音楽を趣味としてきているのである。
ジャズ、ボサノバ・ラテン、MPB。
ソウル・ファンク、R&B。
日本の音楽、時にクラシックも。…ジャンルは様々だけど、まあずっと演奏もし、リスナーとしても音楽をかなり楽しんできた自負はある。

ジャズ愛好家というとLPというイメージが強い。
が、保存に縦置きが出来ないのと、LPのプレイヤーがいろいろ面倒であること、それから、どうしても視聴の場所が限定されること、演奏者としては、トランスクライブのために巻き戻したりする必要があったので、LPには敢えて手をださなかった。
(もし手を出していたら、場所とる、手間とる、金とるの三重苦でえらいことになっていただろう…)
しかし比較的場所をとらないCDでも、積もり積もるとえらいもんで、家には数千枚(多分3000枚くらいだと概算)のCDがある。

* * *

正直に言えば、今現在CDをCDプレイヤーにかけて聴くようなことはほとんどない。
手持ちのPCでリッピングをして、iTunesで管理している。
自分のPCの中には3万曲くらいのデータがストックされている*1

ただ、現在の主流はストリーミングサービスである。
僕が青春の一時期を共にすごした音源たちも、SpotifyAmazon Prime Musicや Apple Musicで入手できるだろう。
現代は膨大なアーカイブを自分で持たなくても、自由にアクセスできる時代だ。
*2

* * *

自分の書斎に、さすがにプラケースから外してスリーブに入れて並べているけれども、
その乱雑に積み上がったCD/DVDなどのヤマをみると、つくづくため息がでる。
これは僕の頭の中の心象風景そのものだ。

ここで本題に戻るのだが、こうやって書棚の一角を占めている音楽関係の遺物は、
サンクコストに他ならない。このCDの残骸が日の目を見る日は、もうないのだから*3

とはいえ、まだこのCDを廃棄する気にはなれない。*4

もっというと、書斎そのものも、そうだ。
現在読んでいる本はほとんどがKIndle購入で、リアルな書籍はここ数年めっきり買うことが減った。
だから本棚の蔵書は一歳一歳古びてゆく。
蔵書は埃をかぶり新陳代謝がなくなった本棚は死んでいるのと同じだ。

家を建てた時には、こんな時代が来るとは思っていなかった。

* * *

戸建住宅の一室は、そのスペースを占有するコストを考えなくて済むから、
サンクコストに直面しないですむ。
毎年乱雑な部屋をほったらかしにしているコストを、今も僕は払い続けている。
経済合理性は全くない。
人は逸失費用に執着するという行動経済学の特性に、僕自身も踊らされている。

* * *

そう言えば、Twitterの医クラ界隈には、30代後半で童貞の医師がいる。
歯に衣着せぬ言動とナイーブなキャラクター、頻繁なコメントである種のカルトヒーロー化している彼は、厄介なことに、母校の後輩だったりもする。*5

最近ある本で、「童貞はある種のサンクコストである」という話を読んだ。

まず童貞の価値について、です。
童貞さんは童貞を大事にしすぎているきらいがあります。
せっかくだから好きな人と、せっかくだからホテルで、せっかくだから付き合って一年間経ってから。
童貞を捨てられる機会があったとしても、なぜか守るほうに動いてしまう。
このように「せっかくだから」と守り抜いた童貞を大切にすることをサンクコスト効果と呼びます。
人は自分がお金や時間を投資してきたものを簡単に止められない心理が働きます。
パチンコで5000円をすってしまったら、その5000円を取り返すまでパチンコを止められない心理になるのと同じです。
パチンコへ夢中になっている人からすれば「何がなんでも取り返したい「5000円」ですが、はたから見ればさらにお金をつっこむくらいなら、居酒屋バイトでもした方が早いんじゃないの?と思えるコスト。
童貞は他人から見ると、パチンコですった5000円と同じ。
だからそんな童貞を守らないで風俗行けば?というアドバイスが出てきてしまうのです。


サンクコストの損切り処分には痛みを伴う。
僕の数十年の音楽狂いの帰結としてのCDの処分と、童貞の処分。
囚われていない人から見ると、どちらも馬鹿馬鹿しい事態に違いない。

*1:もっとも、この前MacBookProが飛んだ時があったのだが、その時データとしてこのアーカイブは失われてしまった。幸いiPodClassicと同期した分から戻したわけだが、曲数を比べると、およそ1%の300曲くらいの数が合わないのである。ただ、それを付き合わせて確認する時間も熱意も、すでに今の僕にはない。

*2:現在は、ストリーミングサービス間のカバー率が十分でないため、目指す音楽を聴きたいと思った時に、サービスを切り替えてアクセスしなければいけない。これのユーザビリティが不満で、過去集めた音源を自由に閲覧できる現状から乗り換えようとは思わない。ただ年々状況は改善しているため、いずれストリーミングサービスに完全に屈服することになるだろう

*3:ありえない話だけれど、世界が滅亡してしまい、大規模なネットワークが消滅してしまったら意味を持つのかもしれない。もしくは米中のブロック化が極限まで推し進められ、日本が中国陣営に与し、アメリカのストリーミングサービスにアクセスできなくなるとか。

*4:多分僕の死後、家族は途方にくれるのだとは思うが…

*5:「これだから男子校は…」って言われちゃうよね