半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

接遇と音痴

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ビッグサイト。2019/7 モダンホスピタルショウ。

ふー。ここ最近疲れが溜まっている。
最近ひょんなことからジャズのアドリブのワークショップを開くことになった*1
コレね→
jazz-zammai.hatenablog.jp
 さいわい無事終わりました。関係各位のみなさんありがとうございました。

このイベントの直接のきっかけは、バンドのライブが突如ポシャってしまったことだった。
ライブハウスに予約した穴を埋めないといけない。
…という、どちらかというとネガティブなことが出発点だった。

ただ、どうせやるならちゃんとやろうと思って、いろいろ調べ物をしたり、学会発表三連発の余勢で、スライドとか資料作りモードに入っていたので、ブログ10日分くらいの資料を作ったりもしたわけだ。
完全にオーバートリートメント。やりすぎ部だな。

ワークショップ開催にあたって、いろいろ調べ物もした*2
昔のジャズマンの生涯を振り返ってみたりもしたが、改めて見直すとびっくり、みんな驚くほど短命なのである。
Clliford BrownやBooker Littleが短命だったのは、まあまあ知られた事実だ。
だが、Charlie Parker、Jaco Pastorious、John Coltraneなど、多くのジャズの偉人でさえも、僕の今の年齢(44歳)にはもう死んでいる。
この人たちの濃密さに比べると、自分はなんとのうのうと生きていることか!

* * *

 働き方改革法案を踏まえて、うちの職場でも色々と業務改善の波がおしよせている。
 今年からの「有給休暇強制取得」これはまあ、被雇用者にとってはいいことだと思う*3。こっちは飴と鞭のアメの方。

 でも「同一賃金・同一労働」が次に控えているよね。
 これって、結局同じ仕事をコツコツとやっている人が、定期昇給するという、従来の年功序列・終身雇用制度を完全に打ち破るものだ。
 要するに同じ業務をしている新人と30年目で、新人の方が給料が安かったら、それは「差別」ということになるからだ。

 もちろん、現場で、新人と30年目が全く同じ仕事をしているわけではない。
 習熟度が違うから、ベテランは難しい仕事をまわされたり、周りをサポートをするような仕事が付帯したりする。
 そういった仕事の違いをきちんとラベリングして、違う業務をやっていると示して、その分給料に差をつける、ということだ。

 そういうことを年度方針説明では皆に伝え「だから勉強してくださいね」ということを強調した。
 うちの職員は素直でいい人が多いから、そんなこんなで当院では珍しく勉強熱が高まってはいる。
 院外研修の要望も例年より多くなっている。

 ただ、院外研修で学んだことを、個人で消化して終わりというのは効率が悪い。
 職場全体に敷衍するためのシステムがうちでは未整備なのだ。ここをもうちょっと変えたい。
 なので研修委員会のようなものを立ち上げて、院外研修→院内研修という流れを計画しているわけだが、ここで、皆がどんな研修を望んでいるか、という全体アンケートをとってみた。

 コミュニケーションとかプレゼンテーションとかそういう内容の比率が多かったが、接遇研修の要望は驚くほど低かったのが目を引いた。

* * *

 我が社の職員は中小病院の医療職としてはごく平均的なものだ*4
 研修希望が多かった、コミュニケーション能力が、では際立って低いわけでもない。
 それに、要望の低かった接遇能力は、とりたてて高いわけでもない。

 では、なぜこれほどまでに接遇の要望が低いのか。

 一つには、昨年度当院では某有名な講師の接遇コンサル会社に入ってもらい、まあまあ濃厚な接遇研修を行なった経緯がある。
 別に悪い接遇研修でもなかったし、コンサルとして「診断」、つまり当院の職員の部署ごとの接遇能力とかの調査結果も僕の認識とだいたい同じだった。
ただ、肝心の「治療」、つまり研修内容そのものは「型にはめる」式の、やや昭和感ただようもので、職員の受け入れはかなり悪かったように思う。
 結果的に、接遇研修の効果は、私が見る限り、あまり上がっていない。
 どちらかというと、接遇研修に関する忌避感を高めただけだった。

* * *

 職員ごとに見れば、接遇能力の巧拙は間違いなくある。
だが、ごく一部の新人職員などを除けば、ほとんどの職員は自分の接遇能力が「悪い」という自覚を持っていない。
僕などからみて、「ちょっとなっちゃいないな…」と思うような人でもそうだ。
 これは、結局その人が考える接遇の要求水準が低いからだ。
 その人の接遇は、その人にとっては「あり」な状態だから、問題意識を抱けないのだろう。
 要するに人は、その人の持っている接遇の感度以上の接遇はできない、ということだ。
 すごく接遇の意識や接遇のことをすみずみまでわかっている人が、敢えて粗野な振る舞いをしている、なんてことはないのである。*5

* * *

 この図式は、音痴とか、楽器の音程が悪い人に似ている。*6
 音痴は、のどが悪いのではなく、耳が悪いからだ。

 耳を養い、自分の音程の悪さが、認識できるようになることが、音痴の解決法としてはてっとりばやい。
 人は自分の音程の悪さを自覚するようになったらその状態を許容できないのだ。

 楽器の場合はその後ピッチを一定に保つためのロングトーンなどの基礎練習も必要だが、ボーカルの場合、自分の音程の悪さを自覚した瞬間、音痴はある程度治っている。

* * *

 話を接遇に戻す。
 同様に考えると、接遇に関する感度をあげないと、接遇能力は上がらないのではないかと思う。

 多くの旧来型の接遇研修では、例えばお辞儀の型を繰り返させたりする。
 けど、自分のお辞儀を録画して、それを見させて、みたいなフィードバックを繰り返した方が、学習効果は高いかもしれない。
 VRとか使って、いい接遇、わるい接遇を体験させるとか。

 ホテルなどのかなり型にはまった接遇所作の場合は、型にはまったフォームを身につけることも必要かもしれない。
 ただ、医療機関での接遇は、カジュアルななかに滲み出るホスピタリティという「ナチュラルメイク」のようなことが要求される。
 やはり言葉遣いやお辞儀の角度のような枝葉末節から攻めてもうまくいかないかもしれない。
 あとは、ユマニチュードだよな。あれは認知症の人のケア技法としてとらえられているけど、言ってしまえば「感じのよさ」をみにつける技法でもある。あれが、医療機関の接遇にはしっくりくるような気がする。

 まあしかし、今日の話をまとめると、

 接遇と音痴は自分のダメさを悟らないと治らん

 ということです。

その他のBlogの更新:

半熟三昧:

「とてつもない失敗の世界史」 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
『まどろみバーメイド』 - 半熟三昧(本とか音楽とか)
「とてつもない失敗の世界史」はオススメでした。はは、あかんわコレ。って気分になる。

ジャズブログ:

ジャズ検定クイズ! - 半熟ドクターのジャズブログ
冒頭触れた、ジャズのワークショップで、ジャズ中級者〜廃人向けのクイズを出してみたわけです。
それにしてもGoogle Formって便利ですね。何がやりたいか明確なら、そんなに悩まずとも一時間くらいでこんなの作れちゃう。

*1:とりあえず単発。続けるかはわからない

*2:人に教えるというのが、やっぱり一番勉強になると思う。

*3:ちなみに昨年度の当グループの有給休暇取得率は59%だった。介護職も含めて。中小企業としては結構がんばっているほうだと思う。

*4:僕が戻ってくるまでの風土としては、辛抱強い反面、問題点の言語化は苦手である、という感じだった。

*5:もしそんな人がいるなら、何らかの事情があるか、サイコパスなのであろう

*6:私も、昔音程が悪い人で、大人になってからちょっとましになったクチなので、余計にそう思う。自分の体験談でもある。