半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

ワタミ会長の話とかいろいろ

ワタミ社内文書入手 渡辺美樹会長が「365日24時間死ぬまで働け」 | スクープ速報 - 週刊文春WEB

自民党公認参院選に出馬する予定の渡辺美樹ワタミ会長が、「365日24時間死ぬまで働け」、「出来ないと言わない」などと社員に呼びかけていることが週刊文春が入手したワタミの社内冊子からわかった。

http://b.hatena.ne.jp/entry/shukan.bunshun.jp/articles/-/2761

 あーあ。こういう記事を読むと、前教授のことをいつも思い出すんです。自分が医者になって入局した科の教授。

 教授は、代々その大学出身者が繰り上がってなっていた伝統を破って、他所から鳴り物入りで就任したバリバリの実力派で、当然ながら医局はビリっと引き締まり、黒船来航に戦々恐々としたのでした。

 私は前教授のこと、結構すきだったですけれども、業績を上げさせようとする態度には遠慮というものがなく、やっぱりこういうワタミ会長に近い叱咤激励の仕方をしていて 、それはなかなか首肯できることではありませんでした。

 ある時、医局でやった飲み会とかで、上の先生が「今後の目標」みたいなことをおっしゃっていた時に「まあ、体にも気をつけて…」みたいな枕ことばを言った時に、間髪をいれず、

「何言ってんだよ!もっとやらなきゃダメだよ!一人くらい死んだって(あ、患者さんじゃなくてスタッフですよ)いいんだよ!」と言って、医局中がしーんとなったのを今でも覚えています。

 叱咤激励をして、負荷をかけることによって能力を引き出すというのは、確かにその通りなんですけど(ドラゴンボール理論)そうやってご自身にも負荷をかけた挙句に、大病(DA)を患って、緊急手術・長期療養の果てに、引退してしまわれた。

 志半ばにして道を退くのは実に無念なことだったと思います。しかし前述のようなコメントを元気な時には連発し、ただ言うだけではなくて、教授という人事権を持った存在ですから、自分の意に沿わない人を関連病院に赴任させたりなど、万事が個人の事情を軽視していた振る舞いをされておりました。ご自身でも恨まれることに対して自覚的ではありましたが、まあ「織田信長」式の行動ですね、必要と判断すれば恨まれることも辞さず、という態度で大鉈を奮っていらっしゃった。しかし、いざ病気をすると、そういう今までの行動はおそらく弱った心身にかえってくるわけです。

 論理的整合性からすると教授を辞するというのが彼のとるべき選択肢になるのは仕方がないことですが、その後は地元に戻られ、アカデミックな世界からは全く隠遁してしまわれ、全く交流を絶たれてしまったのは残念なことです。

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 常人よりも、お金やインパクトファクターを100倍持っている人はいますけど、常人よりも100倍の健康さを持っている人はいません(せいぜい2.7倍くらいです。当社比で)。

 でも、ビジネスの世界で仕事をしていると、そういうことは忘れがちです。

 自分が他人よりも100倍すごいんだ、とか思ってしまう傾向があります。100倍とまではないですが、僕だってそうで、時々、自分が他人よりも数倍優れている、とか増長する瞬間はあります。

 実際ワタミの会長は、金額ベースで行くと、すごい偉人だと思いますよ。ビジネスの世界で考える限り、やっぱり他人の100人分くらいの力があるわけです。でも、ワタミの会長だって、金や地位があるからといって不死なわけじゃない。寿命がすごく長いわけでもないし、誰かに刺されたら死んじゃうし、病気もします。もし喧嘩したって、強くったって、せいぜい3対1くらいでしょう。勝てるのは。

 てことは肉体をベースで考えると、せいぜい2-3倍なんですよ。人より上回っていたとしても。我々の自意識を入れているこの入れ物は、そんなに他人とは変わらない。

 それを忘れて、ビジネスの世界だけで自己を評価していると、いずれ、病気や怪我をした時、つまり自分の肉体性を実感させられる時に、痛い目に会うとおもいます。そして、死ぬまでに、そういう日は必ず来るわけだから。

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 最近僕はジョギングをしています。

 これは怪我をして自転車に乗らなくなったから、なんらかのダイエットをするためになんですけれども。

 小さい頃から走るのは苦手で、今でも短距離・中距離・長距離すべての距離でランニングは苦手です。

 だから、朝走っていても、自分よりも遅い人を見つける方が困難。小太りのこの体は、完全にランニング偏差値50以下です。

 でも、平均以下の運動能力、自分の肉体の卑小さを思い知るのも大事だよなあ、増長したらいかんよなあ…と爽やかな朝の光の中よたよたとランニングをしながらいつも思うのでした。