最近、とても忙しい。
これは、忙しくてギブアップというわけでもない。単純に、忙しい。
でも、ここにはブラック企業で無理矢理働かされている、という悲哀はない。
私を駆り立てているのは、私だからだ。
私には今、3つの生活圏がある。
一つは、主たる職業ともいえる、医師としての仕事の圏。
もう一つは趣味である、音楽演奏者としての圏。
もう一つは、いうまでもない、自分のプライベートである私生活の圏。
これらの3つの圏を行ったり来たりして、今の私というものを私は作り上げている。あるいは、3つの玉をくるくると操っているジャグラーのようなもの、と例える方が適切なのかもしれない。
しかしこれはだれでもそうであって、ことさらにそうやって説明する必要もない。
いうまでもなく、この3つのボールのお手玉をする上で難しいのは、その三者のバランスだ。
私は自分のことを「釣りバカ日誌」と揶揄(卑下か?)とよく評する。何しろ学会などで遠方に行く時に楽器を携行するのだから。それは「釣り馬鹿日誌」の浜ちゃん的行動である。「どっちが本業?」というのもよく言われます。
総じて仕事が充実している人間は、趣味などがなかったり、趣味に邁進している人間は仕事の方は今ひとつぱっとしなかったりしがちであるけど、実際のところ、今の私は、どうなんだろう?
僕は、自分の仕事ぶりについては、それなりに満足はしているのだ。
それなりの地域の基幹病院のメジャー科として忙しく病棟業務をこなし、それ以上に忙しい外来をさばきつつ、実家の病院の方にも少し目を配りながら、学会活動もコンスタントに行っているのが、いまの僕だ。このように書くと、けっこうすごいんじゃないか?と思ったりもするねえ。
もちろん、すべてが「スペック」通りに満足のいくようにはできない。
例えば手技(血管造影・ラジオ波)などは、世の中にうまい人はもっともっといる。エコーにしても然り。そこのブラッシュアップは怠っているのではないかと、もう一人の僕に問いつめられると、僕はうなだれるしかない。学会とかのデータのまとめにしても、もう少し時間をかけて作れば、もっといいものになり、それを論文にしたりもできるのではないかと、言われると、確かにそうだ。
3年前にいた尾道と異なるのは、夜間救急外来に従事する時間が減ったことだ。それから、緊急内視鏡は今はやっていない。
リソースは一定で、それをやりくりするしかない。でも、自画自賛するわけではないが、それなりに与えられた条件の中ではうまくやっていると思う。
今やっている仕事の先にはさらに発展させたら面白くなる道筋がたくさん見えていて、そこにたどり着けば、その先には、また新しい分かれ道が沢山開けている。そういうことをひしひしと感じられる。少なくとも、仕事としては停滞のかけらもなく、大変面白い。
でも、そういう面白いスペシャリストの道を視界に入れながら、僕はこうやってこんな自意識垂れ流しの文章を書いたり、夜は楽器を吹きに夜の街にでていったりする。道を歩まずに。
あるいは。
音楽をする自分がいる。
音楽をする自分は、医者である自分のまるっきり裏返しとも言える。
ちなみに楽器を吹く側の自分は、ここ数年、非常に調子がよろしい。
アドリブを吹くことは、以前よりもより自由になった。
引き出しも増えた。
楽器を調子っぱずれではなくちゃんと吹けるようになった(前よりは)。
そして一緒にやっている人の声を聞くことも、より深いレベルでできるようになった。
ジャズ奏者としては、
5年前くらいからと比べると、あきらかに格が上がっている。
音楽の面でも、以前には見えなかった道が先に続いているのを、これまた実感する。そこを進んでいけば、さらに新たな道が開けているのだろう。もちろん、ジャズの道は医学の道と同様、底なしのものであり、私が歩いている道などは、まだまだ道半ばだ。だがそれにしても、社会人になってからも、ここまで歩み続けてきたものだなあと感慨深いものはある。学生の時には、アマチュア社会人というものは、基本的に上達しないものだと思っていたから。
医者の面にしろ、音楽の面にしろ、少なくとも私は数年前の自分の予想を上方修正するほどの
成果をあげている(……とまあ、自分では思っているわけです)。
もちろん、音楽も医学も「一人前」にやってそれで収支が合う訳がない。
そこにはやはりなんらかのからくりはある。
例えばであるが、私は酒を一切飲まない。
酒を飲むと眠くなったり、頭が鈍って活動性が落ちるからだ。酒は必ずしも嫌いではない*1。もう少し落ち着いたら、酒は60歳くらいから始めようと思っている。
あと、私は基本的に朝5時におきている。朝はピアノを弾くか、ジョギングなどをする時間で、朝の時間を細切れに使うことで私は命脈を保っている。困ったことに去年から不眠症のきらいもあり、夜はますますジャズについて思いを馳せたりもしている。
私が多少なりとも神経症的なのは、こういった背景が作用しているのかもしれない。
飲み会だとか、そういうものは、意図的にかなり量を減らしている。まぁ、これなどはものは言いようで、イソップ童話の「あのぶどうはすっぱい」みたいなもんです。友達いない。時には若い看護婦さんとかと飲みに行きたいなーと思ったりすることもある。
私は基本寂しがりなので、時にきついこともあります。
ぼっち? ええ、ぼっち。だいだらぼっち。
そのキツさを、楽器をさわることや、学会発表することに振り向けたりしています。いまにみとれよ感をかもしだして。
このように、水面下では割とナーバスだったり、めんどくさい私だ。
そのめんどくささを、楽器の練習などに昇華させているのが、今の私だと思う。
寿命は削っているかもしれない。それでも、体が動くうちは、楽しい。
気がつくと、去年肋骨を7本折るけがをしてから一年が経った。
去年に比べると、とっても多忙な私であるが、その多忙さを、いましばらく享受したいと思う。
*1:好きでもないが