半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

ゴールデンウィーク

 ゴールデンウィークの、何がゴールデンじゃ、と言いたい。毎年のことだけど。

概ね天気がよかったことに関しては、いい週であった思うけれど、まあ僕自身は重症の患者さんがおられたので、人任せにもできず、毎日お仕事。

 今の病院は小高い丘の上にあって、詰め所に隣接したデイルームのような患者さん休憩スペースから、高速道路が見渡せる。さすがに5月の3日、4日くらいは、高速道路も大混雑で、インターから上がってくる手前ですでに渋滞している体たらくでありました。

 リピオドールなら、もういい加減詰まったぜ、って感じ。

 同僚の同期の内科医と、仕事の合間にのぞいていて

「たいへんそうだな」

「しかし、正直、 ざまあみろ、って気もしないでもない」

「ところであんた、家族でどっかいったりしないの」

「いやべつに」

 まったくたいしたゴールデンですよ。

* *

 自転車ばなしの続き。

 自転車の記憶というと、小学生の時に友達と町内を走り回ったり、自転車鬼(ごっこ)っていうのもありますが、僕の自転車に関する特別な記憶は、高校三年生の夏です。

 広島の出身の僕は、小学生の時にはそこそこ成績がよかったために、関西にある中高一貫の某進学校に行くことになりました。中学生から親元を離れての生活。寮はないのでまかない付きの下宿なるものでの六年間です。

 休みには帰省しますが、もともと社交的ではない私は、久方ぶりに帰省しても、普段接点がない小学校時代の友達と連絡を取ったりする社交性もなく、同級生と長電話をしていたりする姉妹を横目でみながら、圧倒的に孤独な生活を送りました。予備校などにも行かなかったし、今考えるとほとんど引きこもりに近い。

 そんな状態だったら、さぞかし勉強などもはかどるのではないかと、今になっては少し思ったりもしますが、それが意外とそうでもないのは、自分の怠惰な性向なのでしょう。夏休みの宿題は半分未提出になったりする劣等生でもありました。

 小学生時代は「神童」(敢えて括弧つきにしますが)でしたが、中学生以降の私は、端的にいうと劣等生で、とても人には言えないような成績を叩き出していたわけですが、さすがに焦りもあり*1、高校三年生になってからは、もう少し真面目に勉強をしました。

 とはいえ、結局予備校にも行かず、マイペースではありました。和田秀樹氏の『受験は要領』という本と出会えたのは僥倖で、今ハウトゥー本を量産している氏はちっとも尊敬できませんが、出世作であるあの本は今みても素晴らしいと思う。あの本は独りで勉強をやる際に必須である「目標設定と達成」というプロジェクト管理の基礎を知ったような気がする。

 さあ、高校最後の夏休みです。

 一般的な高校生につきものの友達づきあい、イベントは、普段の生活から完全に切り離されているために皆無で、全くのフリー*2

 一日を勉強時間として、三部にわけました。朝、昼、夜(当たり前やな)。

 がんがんにやれば、朝三時間、昼4-5時間、夜4-5時間、というところですが*3、僕は集中力には自信があるものの、持続力のないタイプであるので、そんな目標は全く無理です。

 朝2-3時間、昼2-3時間、夜3時間という風におおざっぱに決めて、それぞれの時間に教科を決めてノルマを設定しました。そこはちゃんと勉強する。あとは自由にする。今思うと受験生にしては自由時間が多すぎるようにも思いますが。

 そのころは、喫茶店やファミレス、図書館などで勉強するという気の利いた方法も思い浮かばなかったので、勉強は自宅のみです。どうしても煮詰まります。

 しかし高校生、家を出ても金もないし行く当てもありません。友達もいません。昼飯を食べてからの1-2時間、炎天下のなか、ぐるぐると色々なところへ行きました(ほとんどが田舎のひとけのない道です)。もくもくと、そしてもんもんとペダルを漕いで、そして家に帰り、机に向かう。そんな毎日の繰り返しが、僕の高校三年の夏でした。

 今でも、自転車というと、あの時の入道雲と抜けるような青い空、雑草の匂いを思い出すのです。高校三年の夏というと僕の中では自転車しか記憶がなく、不思議なことに、勉強をしている時のことはほとんど記憶がありません。

 最近通勤に自転車に乗っていますが、天気のいい日に遠回りして帰ったりすることもあります*4。高校生の時分に通ったことのある川べりを漕いでいると、不思議な既視感を覚えます。

 結局、僕は育ったこの街に帰ってきました。

 高校三年の夏は、それなりには目標を達成し、浪人せずに大学に入ることはできました。医者にもなりました。

 しかし、べつにひとかどの人物になるわけでもなく、医者として、名が売れるような業績をあげるわけでもなく、育った街に帰り、漫然と医療的雪かき作業をしています。

 自分の足で、どこにだって漕いで行けたはずなのに、この10数年余、気が付くとどこにも辿り着くことはできなかったなあ。

 ただ年だけとってしまったような気がする。

 まあいいや。

 今日もペダルを漕いでいます。

 

*1:親はもっと焦っていたと思うが

*2:今思うと、実につまらない学生時代です。これ書いてて、改めて死にたくなった。生まれ変わったら絶対に共学に行く、と現在の私が公言するのも、この辺りのさみしい思い出があるからでしょう。ただ、生まれもった性格でもあるので、普通に共学の高校生活でも、結局引きこもっていたかもしれない。

*3:そういう同級生も居た

*4ポタリングっていうんでしたっけ