前回の日記では「ことわざをぼやかして言うメソッド」に触れました。
実際、なんでああいう言い方をするかというと、あれは、うろ覚えを言っているのではなくて(そういう例もあるだろうけど)、話し言葉では、ことわざを正確に引用するのはちょっと野暮というかうるさいという印象があるのではないかと思うんです。敢えて後半をぼやかすことで、余白を生み、さらに、その余白を対話者にゆだねることで、Interactiveな印象さえ出すことが可能です。
で、ぼやかすのに、「なんとやら」とか「なんとか」を使うわけ。
ところで、この「なんとやら」と「なんとか」、どっちを好きに使えばいいというものでもなく、使うべき場所はきっちりと決まっているようです。
例えば、前回触れた、
「とらぬ狸の皮算用」では
「とらぬ狸のなんとやら」となり、「とらぬ狸のなんとか」とはならない。
逆に、
「馬の耳に念仏」では
「馬の耳になんとか」が正調であり、「馬の耳になんとやら」とはならぬ。
ちょっと考えればわかることですが、こういう「なんとやら」メソッドは、いわゆる語調を整える機能があるわけです。
ことわざの少なからぬものが、七五調で作られていますが、「なんとやら」という言い方はこの五文字の部分にしっくりきます。逆に、七五調でないことわざでは、「なんとか」の方がしっくりくる。
逆に、元々のことわざが七五調でないのに、この「なんとやら」を使うことで七五調に持ち込むこともできる。
例えば「犬も歩けば棒に当たる」ということわざでは、
「犬も歩けばなんとやら」とすると、七五調となってフレーズとしては据わりがよい。
ところで、七五調といえば、チェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』が七五調で作られていましたね。
♪ ちっちゃな頃から 悪ガキで 十五で不良と 呼ばれたよ
最近のフミヤはなんつーか、アーティスト気取りですが、僕はそういう今のフミヤに苦々しい気分を抱いた時は*1、あんなやつ、デビュー当時にポピュラーミュージックといい条、内実は都々逸のような歌を歌っていた輩、と思うことで脳内溜飲を下げています。
『今週、妻が浮気します』の演技、ひどかったなー。