半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

コロナしぐさ

f:id:hanjukudoctor:20180923102836j:plain:w300
2018, 昆虫展。こんな人混みはしばらく味わえない。
コロナ、コロナ、コロナ…
いやはや、えらいことになった。

世界を俯瞰すると、このコロナウイルス(COVID-19, SARS-CoV-2)というやつは、民主主義社会とグローバリズム脆弱性をつくように出現したように思える。
まあそんな大きな話はさておき、狭いコミュニティに生きる我々医療従事者は踏みとどまって脅威と戦わないといけない。
正直、結構怖い。
日本が、イタリアみたいになったらどうするか……
コロナウイルスとの水際戦で命を落とすかもしれない……とか考えると気が滅入る。
昔の飛行機乗りがやったように、遺書(今風ならエンディングノート)は書いておいた方がいいのかもしれない。*1

* * *

コロナウイルスがはびこる世界。
できるだけ感染しないよう気をつけたい注意点を列挙してみた。
いわゆる江戸しぐさ、ならぬ、コロナしぐさ。

(僕は感染症の専門家ではないので一般医家の穏当な意見ですのでご注意ください)

Social Distancing

とりあえず人混みは避ける。可能なら。
ただ、東京とかだと、人混みを完全に避けることはできないだろう。可能なら、だ。

東京という超人口過密都市のすごいところは、これだけの密度にも関わらず(いや、だからこそ)お互いに干渉せずパーソナルスペースを最大化すべく譲り合っているところだ。
欧米では「Social Distancing」といって、感染の蔓延を防ぐために距離を取ろうと叫ばれているが、日本人は平時でも相当distancingができてる。
まあそれが、少子化であったり、年間性交回数ダントツで最下位につながったりもしているわけだが。
普段から友達がいないぼっちよろしく、日本人はこの点では圧倒的に有利だ。
よかったね。

マスク

マスクの効果には結局エビデンスはない。
が、日本人は以前から感染流行期にマスクは当たり前につけていた。
この行動は、やはり感染防御に貢献しているような気はする。
我ら、腐海のほとりに住む辺境の民。
トルメキアとは違うのだ。
常時マスクをつけている煩わしさは『風の谷のナウシカ』を思い起こさせる。

 

手指衛生消毒

手指衛生消毒をきちんとしましょう。
もっとも大事なのは、飲食をするときにウイルスをいかに体に入れないか、ということだ。
(これはコロナに限らず、ノロウイルスとかインフルエンザも同じだけど)。

1.ながらお菓子

f:id:hanjukudoctor:20200324093340p:plain
ながらお菓子の例
例えばお菓子をつまみながら運転する、とか、デスクワークしながらお菓子を食うとか。
そういう「ながら」行動。多分いけない。
作業をしながら食べ物を指でつまむ、という行動は、環境(テーブルやPC)に飛沫感染で付着したウイルスを指になすりつけたものを、わざわざ食べ物にうつして食っているようなもの。
また、お菓子を長時間開封しておいておくのも、あまりよくない(自宅ならそこまで気にしなくていいかもしれないが)。
スナック菓子を開け口から箸でつまみながら食う「オタクしぐさ」は、手指衛生的には割と合理的ではある。

2.スマホを触る

f:id:hanjukudoctor:20200324093135p:plain
ながらスマホ

スマホは常時手指が触れている。
なので、病原体が疑われる環境で、スマホを触るとかなり危険だ。
例えば、危険な環境(電車とか、病院の外来であるとか)でスマホを触る。
そのあと手を洗っても、スマホをそのままにしてるなら意味がない。
そのスマホを、飯を食いながら触ってたら、はいアウト!
スマホのディスプレイに付着したウイルスは体に入る。
男の一人飯、例えばラーメンとか松屋とか吉野家とか、黙って飯を食う。それはいい。しかしスマホ触りながらは、やめた方がいい。
飯食う時は「飯食うモード」として細心の注意を払い、余計なものを触らずさっさと終わらせるべき。

また、帰宅したときに、手洗いとうがいは当然すると思いますけど、そのときにスマホも、可能なら洗おう。

あと、医療従事者のみなさんは、職場でPHSを持ち歩いていますが、休憩時間、食事中に、PHSが鳴ったときに、出てしまうと、もう一回手は洗わなきゃいかんですよね。あのPHSは多分結構汚い。これも適度にクリーンナップしよう。

3.共用のタオルは使わない

最近は店舗において、手拭き用にペーパータオルがおいてあることが多い。
が、古式ゆかしいところでは、共用のタオルなどがおいてある。
これは非常に危ない。
ウイルスに感染していた誰かが使ってたら、手洗いのつもりでウイルスを手に付けることになる。

ジェットタオルみたいな空気で乾かすやつは、ウイルスをエアロゾル化するのでは、ということで使用禁止になっている。
どっちにしろ、手を拭くのに困る場所は増えた。
だから、自衛のため、ハンカチやハンドタオルを持参しよう。
ズボンの裾で拭くとかは、服に付着したウイルスが手についてしまうぞ*2
そして、ハンカチを一回ごとに捨てるわけにはいかないが、可能であれば複数枚持ち歩いて、使ったものは二度と使わない工夫をしよう。
使ったものは洗濯に回す。同じものを何日も持ち歩かない。*3

これはまだ大丈夫だが、地域全体の感染率が10%以上のフェイズがもしくるなら、家族で暮らしているような場合、もはや家族の誰が感染しているかわからない状態になるかもしれない。
手指衛生消毒のあとのタオルは、個人ごとにわけた方がいい(これは家族ノロウイルス感染などでは普通に行うことだ)

4.マスクをポケットにしまわない

マスクは現在貴重品で、おそらくこの感染禍がおさまるまで、潤沢に使うことはできないだろう。
おそらく医療現場以外のマスクは、何日か使ったりすることもある。手作りの布マスクならなおさらだ。

マスクをつけるときに大事なのは、マスクの極性(表裏)だ。
マスクの裏っかわ(口・鼻が触れるところ)はいつも同じ向きで、外気に触れる面とは区別する。
外側はウイルスが付着しているかもしれないからだ。
もしポケットにマスクを折りたたんで入れると、外側と内側が触れ合う。ポケットのへりにもウイルスが付着するかもしれない。
そうすると、ポケットからとりだして装着するときに、裏にウイルスが付着していると、むしろウイルスを体内に押し込んでしまう。
推理小説の毒物トリックみたいだが、これがマスクをポケットに入れてはいけない理由だ。
しかし、実際マスクを外したあともう一回使うまでどうするか…
携帯用マスクケースはやっぱり必要な気がするね。

5.安全な食べ物は何か?

アウトブレイクがもう進んだ先のことを想像してみよう。
かなり感染が当たり前になることがあれば、飲食関係者の不顕性感染も出てくる。
そうなると、それを介してさらに感染者は増える。
何を食べたらいいか、難しい時期はくるかもしれない。

そんな中、コンビニの食事は比較的安全であるように思える。
しかし、感染した人も食料を調達するために立ち寄っているかもしれないし、店員も不顕性感染かもしれない。
食品のパッケージの表面にウイルスが付着している可能性は否定できない。

表面の包装を触った手で、食べものに触れると、感染するかもしれない。
家に帰って、さらに移し変えて、手を洗って食べるか、それとも、外の包装のみを触り、中の食品には触れないようにして食べるか。

ちなみに、コンビニのおにぎりの、海苔が分離しているやつありますね。フィルムを抜き去ってパリパリの海苔を楽しめるやつ。
あれ、実は結構厄介です。外包装を触った手で食品に触らずに完成させるのが、構造的に難しい。
パンとかにしても、蒸しパンとかの、中身に薄い紙ついているやつも、わりに難易度高いですね。

まとめ

  • ながらお菓子はやめよう。だらだらと飲食を続けることはリスクを増やす。
  • スマホタブレットを触りながらの食事はやめよう。可能ならスマホを洗おう
  • タオルの共用をやめよう。今の情勢だと、ハンカチかハンドタオルは持ち歩いた方が無難だ。可能なら複数枚。ハンカチはこまめに洗濯しよう。
  • マスクの扱いは、結構難しい。感染がやばくなってくると、携帯マスクケースは多分必要になってくる。

今は東京大阪を除いた地域は、まだ感染が本格化していない。ゲームでいえば「チュートリアル」状態だと思う。
実際に街を歩いている人がコロナウイルスを持っている可能性は、まだまだ少ない。
今のうちに、感染防御しやすい「コロナしぐさ」を訓練しておこう。

東京大阪は… うーん、頑張りましょう。
序盤ですが、すでにゲームは始まっています。
ぼやぼやしていると撃ち殺されてしまいますよ。

*1:あと、エッチなコンテンツとか、読まれたら困るメールとかは処分しておいた方がいいのかもしれない

*2:服についたウイルスがどれだけ残留するかはよくわからないが

*3:もちろん、十分流水と石鹸で手を綺麗にして、ウイルスを洗い流したあと、ハンカチは濡れた手を拭く、ということが徹底できていたら、ハンカチを繰り返し使っても大丈夫だと思う。ただ、すべての手洗いが100点満点である保証はないし、複数枚持ち歩いていた方が無難だ。

2019年度のまとめ(後編)

それにしてもざっくり3000文〜4000字の記事が40-50本。
概算しても、一年で15万字くらい書いているんですよ。
これも非常にジャズ的ではありますね。

ロックは500人の観客の前で3つのコードを演奏するが、
ジャズは3人の観客の前で500のコードを演奏する

ってやつ。まあ自分のために書いていますからいいんですけど。

経営に関する話:

経営者としての現場論、組織論。医療経営の現場で思ったようなことです。

hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
この二つは、他所のコンテンツを使いまわした記事です。でも程よく書けてるでしょ?
深イイ話

hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
この辺りは社会人の話。医療機関に限らず「接遇観」の個人的差の是正の難しさ、あとはボーナスの評価の話とか。
人事給与体系を、日本式からアメリカ式に変えませんか?みたいな話。
hanjukudoctor.hatenablog.com
これは、経営者、もしくは医者が「贅沢」することに対する難しさの話。オブラートに包んで言ってますけど、結構ここはもうちょっとあけすけに語ってみたい部分ではあります。

hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
この辺は、医療経営者なら誰しも知っている話ではありますけどね。
ちなみにFacebookコメント欄ではアナルパールへの食いつきが半端なかったです。

社会時評

日記というか、日々のニュースに際して思ったことなど。
もともとはこのBlogも「日記才人」から始まっていますから、最初はそういう、飲み屋さんとかでクダ巻いているだけのエントリだったなあ。
2000年からこういうのずっと書いているんすよ。なんすかね、友達いないんだよね(笑)

* * *
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
文春砲ネタ二題。マスコミを「マスゴミ」と断ずるのは安易すぎて嫌なんだけれども、彼らの「企業努力」が日本をどの方向に牽引しているのか、というのはもう少し考えて欲しいなあと思う。


hanjukudoctor.hatenablog.com
はいこれ。私の史上もっともバズったやつですが、書き終えた時に、そこまでの感触はなかったし、こんな反響も予想しなかった。そんな大したこと書いてないし。時事ネタの突風というのはすごいよな、と思った。ある種の「ちょうどよさ」がウケたんでしょうか。
いろんなBookmarkコメントいただきましたけど、基本的に読まれる数が多くなると、クソリプが増えるという普遍事実をネット歴20年目にして初めて実感。fujipon先生とか毎日こんなんでしょ?大変だよね。今度から人気Bloggerを応援するコメントもっとつけようと思った。

hanjukudoctor.hatenablog.com
「なぜパンツを恥ずかしがらなきゃいけないのか?」ということが、前々から気にはなっていました。
誰がそういうルールを作ったのか。
消費税のエントリのあとなので、頑張って書いて即アップしましたけど、リアクションは今ひとつだったのが残念です。
めっちゃ頑張ったのに。

僕webのマーケット感覚からずれてますよねー。どうしてこうなった。

* * *
hanjukudoctor.hatenablog.com
これは書き足りない記事。俺たちの世代は前後の世代の養分。言い返したり反抗したりする気概も力もない。
hanjukudoctor.hatenablog.com
西野氏のYoutubeとかみてますけど、まあこのスピーチよりも落ち着いてて、賢いこと言わはると思う。
結構はっとすること多いです。

* * *
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
地方在住の僕にとっては、こうした記事がまさに、リアル。

* * *
hanjukudoctor.hatenablog.com
これも結構頑張って書いたけどなあ。

hanjukudoctor.hatenablog.com
郵政省は年賀状に変わるITインフラを作ることができれば、ひょっとしたらアジア文化圏のデフォルトになるSNSを作れたかもしれない、と架空戦記シリーズのように煩悶としています。

hanjukudoctor.hatenablog.com
これは時事ネタではないのですが、メガネの話。実は2000年から2010年くらいまでは、僕の持っているメガネ、みたいなコーナーあったんですよね。
途中から飽きて書かなくなっちゃいましたけど、ここ10年ばかりのメガネ遍歴で思ったことを書いています。

2019年度のまとめ(前編)

コロナウイルス(COVID-19,SARS-CoV-2)騒ぎで社会は相当なことになっていますね。
私も出張のほとんどを取りやめ、いつもセッションに行くジャズバーへの立ち寄りもやめた3月でした。

家でゆっくり書き物をしよう…難解な本を読もう…と思っていました。
が、Kindle Unlimitedで『カラテ地獄変』とか『実験人形ダミー・オスカー』とか読みくさってた。
こんなんじゃ、子供に「勉強せえ」なんていえないですね…

2019年度のまとめ:

読んでいただくみなさんいつもありがとうございます。
このブログはだいたい月2〜3本書いてますけど、一記事4000-5000文字くらいで、超重いですよね。*1

多分僕のBlogにもっとも欠けているのは選り抜き力だと思う。
すこしピックアップしてテーマ別に並べ直して振り返ってみます。

診療に関する話:

hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
コロナがらみの話です。診療、というのとは違いますけど、まあ時事ネタですし、ここにあげときましょう。
あと別ブログですけれども、この記事はFacebookリンクを中心にバズりました。
jazz-zammai.hatenablog.jp

hanjukudoctor.hatenablog.com
MRさんに向けて書いた話。現実的に、地方MRはもう撤退局面に入っていて、目端の利く人物はあまり残っていない印象を受けます。再就職を考えないといけないですが、今回のコロナショックで、転職も難しい局面になるかもしれませんね…
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
私の仕事の多くは、感情と頭脳のミックス、ネゴシエーションとかばっかりになっています。手技楽しいのになあ。
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
私も肝臓内科としての仕事はかなり減って、一般内科ばっかりですけれども。
専門医、という資格の再定義が必要なんじゃないか、と思ってます(いずれ書きます)

老いについて

hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
診療現場には、老いや人生の下り坂局面に出くわすことがたくさんある。老いの話は、元気な時には想像しにくい。準備なしに老いの局面に入ることへの警告として、読んでみてください。自戒も込めて。

死・ACP:

hanjukudoctor.hatenablog.com
ACP=人生会議の小藪のポスターで世論が揺れた時の話。
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com
これは、全日病で発表した内容の一部紹介になります。今年は特養で看取りが多かったですが、末梢点滴を全くしない、つまり「平穏死」方式の患者さんは10%くらいもいませんでした。しかし最期の最期まで点滴、という人は一人もいなかったので、まあなんかうまく了解いただけているのではないかと思います。
hanjukudoctor.hatenablog.com
hanjukudoctor.hatenablog.com

後編に続きます。
読み直して反省するのは、やはり文章が長すぎること。谷崎潤一郎みたいにダラダラしている*2
もっと軽い言説でないとインターネットでは読んでもらえないんですよ。

*1:これくらい分量があって読みにくいと、読解力がない人は寄り付かないので、バカ排除装置としては有効

*2:谷崎ほどではないですけれども

コロナウイルスへの対応とハイコンテクスト社会

f:id:hanjukudoctor:20200306134857j:plain:w300
2019年、下関。
コロナウイルス(COVID-19, SARS-CoV-2)騒ぎで、国も、それ以上に世界中が大騒ぎになっている。
しかし学校がこのタイミングで休校になるとは思わなかったな。

* * *

安倍内閣の今回の緊急決定は、本日時点では、

  1. 小中高の休校要請、
  2. 中国と韓国からの渡航者(帰国者含む)からの入国制限と隔離期間の設定

こんな感じだ。
私は医療従事者なので、感染対策をしている厚生労働省以下感染対策で頑張っている人たちの考えを尊重したいと思っているのだが、
今回の中央政府の提言は「遅い」わりに「強い」とは思った。*1
そして「強い」割に、的外れ感もある。
せめてここまででなくても2月中に何らかの対策を打っておけば、もうちょっと有効な策になっただろうに、とも思う。
エピメテウスにもほどがあるだろ。*2

ただ、じゃあこの政府の策が、悪いか、といえばそういうわけでもなくて、それなりに意味もある。
それは日本が、「ハイコンテクスト文化」だからだ。

* * *

社会や文化のコンテクスト=文脈。
コミュニケーション環境を理解する概念として、アメリカの文化人類学者であるエドワード=T=ホールが唱えた「ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化」という概念があります。「コンテクスト」とはコミュニケーションの基盤である「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」みたいなこと。
要するに「暗黙の了解」みたいな部分がどれだけあるか、という話。

ものすごいわかりやすくいうと贈答品とかで、
「つまらないものですが…」とか、日本人は謙遜するじゃないですか。あれは、そういう文化が共有されているから通用するのであって、ローコンテクスト文化では、言葉は字義通りに解釈して「そうかつまらないものなのか」と受け止められてしまう。

ちなみに日本の国内でもコンテクストの高い低いは地方差があるけど、もっともハイコンテクストな文化は京都だと思う。
ぶぶ漬け食べていかはります?」が、もうそろそろ帰ってくれないかな、なんていうのは、その文化圏にいない人間にとっては理解の範疇を超えている。*3

ローコンテクストな文化環境では、言ったことはそれがすべて。
それ以上に膨らませて解釈されることはない。
ある種さっぱりしている。
特に「察する」コミュニケーションが苦手な人間にとっては、ローコンテクスト文化の方が言語の壁があってさえも過ごしやすいだろうな。

* * *

ハイコンテクスト社会の日本。
「小中高をこの年度末の時期に二週間休校させる」というアナウンスをした、というだけで、
政府は相当な意思決定をしたぞ。これはただごとではないぞ、と受け止めた。
実際に、小中高を休校させるという決定が、この感染症の蔓延に対して、有効な施策かどうかは、学者の間でも見解の相違はあるのは皆知っている通りだ。
だが「小中学校を一斉休校させなあかんレベルの決定をしたんだ」という衝撃が伝わると、あら不思議、会社でも地域でも、その意思決定の「強さ」というものを勝手に「忖度」して、みな自分たちが取りうる意思決定の中で、最大限この感染症に配慮するように全振りした。

結果、各地のコミュニティイベント、ライブ、会合、新年会、歓送迎会などを「勝手に」「自主的に」中止することになった。
自粛の嵐。
見事なもんだ。

ある種感染症対策としては的外れでもなり、タイミングの悪い指示であったても、その意図を「忖度」して、全国民が一斉に「自粛」に向かった。まるで、魚群や鳥の大群が、一斉に向きを変えるような様は壮観だったと思う。
そして、それは、多分結果的には感染制御にはいい風に作用するだろう。

そう。日本の社会は、一人のボスが指示をしてそれをトップダウンで浸透させるようにはできていないのだが、
鳥の群が向きを変えるような、全体行動の団結を時に見せる。

まあそれがハイコンテクスト文化とも言えるだろうし「同調圧力」というやつでもある。*4
だから、この自粛ムードへの流れはいかにも日本的なプロセスであるなあ僕は感じた。
他の国であれば、もっと納得の行くような説明と施策を提示しないと、こういう行動にはならない。

もちろん、コンテクストに従わないアウトサイダーは居るわけだが、感染症の厄介なところは、そういうごく少数のアウトサイダーが皆の努力をめちゃめちゃにしてしまうところだけどね。

* * *

ちなみに、エドワード=T=ホールによれば、中国人は日本人に次いで「ハイコンテクスト文化」に属している。まあ、ホールいうところのコンテクストは個人のコミュニケーションに関するものなので、前述した日本の状況はハイコンテクスト社会、とでもいうべきものなんだろう。中国人は、ハイコンテクスト文化に属するけれど、ハイコンテクスト社会ではなさそうだ。
だから、行動の自由さや共同体の監視や規範からの逸脱という意味では、中国人は我々以上にしたたかで図太い。

だが、そういう彼らには、よくしたもので、この自由な現代には考えられない強権と強制力を持った独裁政権がある。おまけにふんだんな科学力も組織力も資金力もある。結果的には難局を乗り切りつつあるように見えるし、この件に関しては彼らは自分たちの政権に感謝するべきだろう。
中国は正攻法のマネジメント。あちらの方が正統派だ。

日本の「ハイコンテクスト」な社会体制で乗り切る手法は、やっぱりガラパゴスなんだろうな。

* * *

そうこうしているうちに、イタリアをはじめとした欧州、中東・米国へも感染は拡大している。

あちらは相当なローコンテクスト文化、ローコンテクスト社会である。
中国よりも中央政府の権限も強くない。
この感染を乗り切るための共通認識をどうやって作っていくのか、見守りたいところだ。
まあ、ウイルスの挙動や感染実態もある程度わかってきたので「後医は名医」よろしく、うまくやるかもしれないが。

* * *

日本についていうと、むしろリーダーシップとマネジメントを必要とするのは、この警戒態勢の解除において、だと思う。
鳥の群れのように方向転換したところまではよかった。そこは日本的なお家芸でなんとかなると思いたい。
ちょっと初動は遅かったけど。
ただ、これを続けていけば、経済が死ぬ。適切なタイミングで方向転換できるかどうかには、政府の適切なマネジメントが必要ではないかと思うが、それがうまく為されるかどうかについては、大いに疑問だ。

*1:病院で医者などやっていると重症な患者さんの親族が、遠方にいて後からくる家族に限って、極端な要求をしたりするのに、少し似た感情を抱いた

*2:ギリシャ神話の話ですけど、知恵の神プロメテウス=先に考える人の意、その弟エピメテウス=後に考える人。まあつまりエピメテウスというのは、このくそ●鹿野郎という言葉をオブラートに包んだ言葉。僕はバカにはわからないようによく使います。

*3:なんか最近はネットとかでも京都の人の言い方、みたいなのよくありますよね

*4:私にはミュージシャンの友人も多いのだが各地の零細ライブハウスやジャズマンが興行を中止せざるを得ない状況に追い込まれているのは、これは日本的な「ハイコンテクスト社会」の弊害だと思う。

コロナウイルスの騒動とミニマリストへの一石

f:id:hanjukudoctor:20200229100504j:plain:w300
というわけで、出張の多くもキャンセル、家に篭っている。
ことの他、静かな生活をしている。
コロナウイルスの一連の騒動で、色々な会議や出張は軒並み中止になってしまった。
今週は大阪で毎年開催される医療・介護関係の見本市、『メディカル・ジャパン』がインテックス大阪で行われる予定だった(というか、行われている)。
ビッグネームの講演も多数開催される。
新しい情報を得るため、毎年1日は顔を出すようにしていたが*1、この祭典はとにかく巨大で数万人規模の参加なのだ。
毎年シャトルバスも激混みである。
なので、さすがにこの情勢を鑑み参加をとりやめ。

* * *
「おまえ医者なのに忙しくないんか?」と言われるとあれなんですけれども。
 私は中国地方の地方都市にいるので、コロナウイルスの騒ぎからは少し遠い。
*2
外来も、2月末時点ではあまり騒動にはならなかった。

私はテレビはあまり観ないが、垣間見るだけでも、かなり非科学的な責任論が跋扈している。
マスコミは持ち前の「批判精神」で現状のありようを断罪し喧騒を拡大して、人々に不安と投射しているように見える。

それを反映してか、市井でのデマはひどい。
私は医師会にも関与しているし、市の感染症委員会にも少し関与しているので、確度の高い情報はいち早く得られる。現実的にこのエリアでPCR陽性確認例は、まだないのだ。
けど、外来で診察していると、声を潜めて「でも福山でもいるんでしょ?隠してるんでしょ?」みたいに言われる。
大いなる田舎での井戸端会議では、いろんなことが囁かれているみたいだ。
街で一番大きな病院には二人入院していることになっていたり。
ダイヤモンドプリンセスに乗ってた人が当地に居る、って話だったり。
外国人の多い工場で発生して企業立病院に入院していることになっていたり。
(怪我かなんかの救急車搬送で、その病院を提案したら「あそこはコロナの患者さんが居るからいやです」と患者さんに拒否されたりだとか…)

デマ、っつーもんの醍醐味をたっぷり味わうことができた。

まあ「大本営発表」である厚生労働省も内閣も、説明が一貫せず、また痒いところに手が届かないようには思う。*3
アメリカのようなCDC(疾病予防センター)とまではいわないが、当事者の科学者集団の声を適切に届ける部局は、確かに必要だろうな。情報を一本化した方がよさそうには思う。
一般のリテラシーとの乖離を解消できないから、大衆心理、情報リテラシーの専門家をチームに入れよう。よりわかりやすい情報提示をしたら、もうちょっと日本人も冷静になれるかもしれない。
岩田健太郎先生の言うごとくTransparency(透明性)とAccountability(説明責任)は諸外国に向けてのメッセージとしても重要だと思う。

安倍政権は、この点に関しては残念ながらあまり優れているとはいえないとは思う。*4

* * *

感染症アウトブレイクは古くて新しい話だ。
中世ヨーロッパにもペスト、黒死病の猖獗があったり、近世にもスペイン風邪などがあった。
もっとも、カミュの『ペスト』、『リウーを待ちながら』の酷薄さに比べると、今回のコロナウイルスは、随分マイルドなものに思われる。
halfboileddoc.hatenablog.com
(以前書いたBlog記事)

* * *

ところで、今回のような騒動に際して、ミニマリストはライフスタイルを見直さないんだろうか。
ミニマリストとは、持ちものを極端に減らすことでライフスタイルの幸福度をあげようとするスタイルである。みんな知ってますよね。
こういう考え方の嚆矢って、寺山修司なのかなあと思う。
『書を捨てよ、街に出よう』に今だったら「ミニマリスム」そのものという文がでてくる。
レコードをたくさん持つより、都会に住んでいるんだからレコードショップで視聴したり、ジャズ喫茶に行けばいい。本だって本棚にたくさんの蔵書を保管する意味はないんじゃない?書店が、図書館が、自分の本棚だと思えばいい。

要するに、都会生活を謳歌する際には、ストックは不要であることを高らかに歌い上げた一節があった。

実は、個人はともかく企業の多くはとっくに「ミニマリスト」になっている。
トヨタカンバン方式が代表的だが発注を受けてから作る。バックヤードに在庫を抱えない。
医療材料などにしても、SPDを使ったり、手持ちの在庫を極端に減らしてゆく方式が主流だ。そうやって効率性を高めている。

兵站が確保され、流通が円滑に行われている限り、このやり方は正しい。
効率性と冗長性はトレードオフの関係にあるからだ。現代社会は、歴史上でみるともっとも効率性の方に割り振った社会構築をしている。

だが、今回のような感染症で、社会が分断されたら?
流通やサプライチェーンの遅延が起こったらどうなる?
ストックのなさは、時に致命的になる。

ミニマリストは、都市や社会インフラに依存したライフスタイルであることを自覚する必要はある*5

正直にいうと、今回のコロナショックでの日本は、新興感染症に対する態度を世界に問われているわけで、実際の健康に対する影響は、やはり限定的にすぎないと、今でも僕は思う。*6
ただ、今後20年〜30年のうちに同じようなイベント(endemicな感染症がpandemicに移行する)は散発するだろうし、その中には、もっとやばいやつ、例えば薬剤耐性の致死性の病原菌だってありうる。
若年人口の2割が死亡しちゃうような強烈な感染症だってでてこないとも限らないわけだ。
その意味では、今回の騒動はこれで終わりではなくきちんと次に生かさないといけない。僕は阪神大震災では神戸にいて被災したが、あれが、東日本大震災の前に起こったのも、意味があったと、思っている。今回のも、次に生かさないといけない。「次」は必ずあるのだ。

今回のコロナウイルスを通じての教訓。
一つ。そういう「次の」感染症に適切な組織的対応をとれる体制は必要だ。CDCでもなんでもいいけど、科学的思考のできる人物に権限を集中させる仕組みが欲しい。
二つ。借金とかと一緒で、膨らんでしまってから対処するより、早めに叩く方がいい。日本型組織の弱点、合意形成に時間がかかる構造的問題は、やはり今後に不安が残る。
三つ。「ミニマリスト」的な考え方も、ちょっと考え直した方がいいのかもしれない。今後、グローバルな災害が起こり、流通が止まることは僕が生きているうちにも何度かあると思って構えておいた方がいい。

我が事で言えば、病院の中に、マスクや消毒薬のストックはもうちょっと準備しておこう。
BCPの観点で、在庫管理をもうちょっと見直さないといけないな。と思った次第だ。

*1:3日間ある。

*2:新型インフルエンザの時も、中国地方は国内では一番遅かったので、中国・四国地方というのはぶっちゃけ人口流動という見地からは田舎、ということなんでしょうね。

*3:だからワイドショーは専門家というにはいささか怪しいコメンテーターに解説を発注し、その結果、やや斜めにそれた意見が流布する

*4:かなりオブラートに包んで言ったが、まあこれに反対する人はあまりいないだろう。なぜオブラートに包むかというと、あたしゃ政権与党支持者ですからね。やることはそれなりにやってるんだけど、説明やアピールは下手だね。

*5:もちろん、ストックそのものが役に立つわけではないから、余分な支出を抑え、自分の資産を貨幣から動かさない、ということならわかる。しかしこれは、例えば最終戦争であるとかハイパーインフレなど、社会基盤が根底から覆されるような事象になると、途端に脆弱となるだろう。ミニマリストには質入れしたり物々交換したりする着物すらない.

*6:風邪と酷似した感染様式と対症療法しかない時点で、攻め手はないのである。逆にいうと、攻めがない分「守り」に徹するしかない感染症である。PCRにこだわることには全く意味がない。極論を言えば、治療家にはPCRの権限を持たせず、疫学調査チームにしかPCR検査の権限を持たせない、とかですらいいと思う。

禁酒・禁煙の年齢制限は思ったより早い

f:id:hanjukudoctor:20141024064138j:plain:w300
これ、どこだっけ…
ええと、Blogより優先すべき原稿がありましてね。
それがなかなか筆がすすまず。
そうすると、ブログかけなくなる。気がつくと二週間あけてしまいました。
(ちなみに、その原稿も結局書けてません。)

* * *

私は内科です。
消化器・肝臓内科が一応専門ですけど、今ではプライマリというかなんでも診てます。
多くは生活習慣病ですが、専門領域のからみもあり、アルコール性肝炎、そこからアルコール依存も診るようになりました。

hanjukudoctor.hatenablog.com
(以前に書きましたが、久里浜病院に研修にも行き、結果アルコール依存の方の診療はさらに増えてます)

アルコール依存症の診療の基本は「SBIRTS」です。

  • S: Screening アルコール依存の程度をスクリーニングし重症度を判定
  • BI: Brief Intervention : 比較的軽く、「節酒」でいい方は 外来で簡易介入し、アルコールの量を減らします
  • RT: Referral to Treatment : 「断酒」が必要な依存症の方は、専門医療機関に紹介
  • S : Self-help Group :アルコール断酒会への参加を促します

プライマリ・ケアや、今では学生講義にもあるんじゃないかと思いますが、比較的新しい言葉なので、同年代や年上の先生には、この言葉を知らない方も結構おられる*1

アルコール依存の大きな問題は、実際医療機関にかかってる人は10%くらいしかいないこと。
とにかく、病院に来ない。来ても、すぐこなくなる。
はぐれメタルなみに、すぐいなくなっちゃう。
なので、どう診療するか以前に、どうやって受診してもらうか、が第一歩。

そのためには医療側は「酒飲んじゃダメだろ」なんて、怒っちゃいかんのです。誘拐犯からの電話を受ける担当みたいに、とにかくつなぐ、切らせない。逆探知はないけど。
でも、今までの内科(特に肝臓内科!)は、依存患者に対し、怒ったり叱ったりよくしていました。
怒らずに一緒に対策を考えることで、患者さんとの距離はぐっと近づきます。*2

しかし重度の「依存症」の方は、精神科による専門のチーム治療、閉鎖病棟で行われるアルコール断酒プログラム(ARP:アルコール リハビリテーション プログラム)がやっぱり必要です。そういう人には、外来で診てゆく段階で、精神科に紹介になります。
やっぱりアルコール依存症の治療の本丸は精神科。内科で、外来で、できることは限られている。
ただ受診の最初のステップとしてはそれなりに重要な役を担っているわけですよ。

というわけで、内科医はSBIRTSを踏まえて行動すればいい。
重症例の振分けと軽症の治療。
軽い方や、本人が精神科受診に抵抗がある時期には、自分とこで診る。*3
重症例は精神科と連携を取って、精神科に任せる。
まあそういう風に線引きをしていたわけです。

* * *

ところが。
精神科に紹介するけれど、そのまま突っ返される例が結構あるんですよね。
ARP(アルコール断酒プログラム)は、認知行動療法の一つなわけですが、自分の状態を理解し、それなりに判断力を有し、認知行動療法のアプローチに対してアクションが起こせる人でないと、結果的にうまくいきません。
「もう側頭葉が完全に萎縮しているんで無理です」なんて治療不適ということでけっこう突っ返される。外科紹介するけどインオペ(手術適応なし)みたいな感じで。

コルサコフ症候群」という病名もありますがアルコール依存症の経過長い方の多くは、深く考えられず、その場しのぎの思考に終始したり、認知機能もかなり落ちたりしています。
そりゃあ断酒プログラムなんて、まあ……無理。*4
ついでにいうと、アルコールの身体障害が強い、例えば非代償性肝硬変の方も診てくれません。

そもそも断酒プログラムも切り札でもなんでもなくて、一年後の断酒完遂率も30%程度にすぎませんが、エントリーの時点で、かなり人を選ぶのは事実です。
精神科領域も、マンパワー全然足りないしね。

俺たち、途方にくれる。


結果的に、70歳以降の依存症患者の治療成績は、かーなり悪いです。そもそもチャレンジする必要条件に達しない。

というわけで精神科は取ってくれないから(治療施設の差はあるでしょう。不幸なことに当院の地域ではあまり診てくれません)SBIRTSの精神にのっとり、うちの外来で診てますが、悲惨な末路にはしばしば遭遇し、心折れます。

* * *

ちなみに禁煙外来も年齢については同様です。
初期認知症の方で禁煙外来にくる人はしばしばいます(おそらく、家族の要望か、手術などを控えどうしても禁煙しないといけない状況なんでしょう)。
ただ認知機能が低下し、フレキシビリティの落ちた方は、生活を積極的に変えることなんてできない。チャンピックスはそれなりに効きますが、成績は悪いです。

* * *

50歳、60歳で「もうちょっと歳取ったら、酒もタバコもやめよう」なんて思っている人結構いますが、実は有効に禁酒・禁煙できるリミットは思っているよりずっと早いです。

70歳くらいだと、相当成功率は低い。
すでに辞める能力を失っている人結構います。

禁煙・禁酒に年齢による限界なんてもんがある、ってことさえ、みんな知らないんですよね。
外来で言うとみんな絶句してます。

高齢の方は、もうその場合、盛大に認知症が進み、弱るのを待って介護施設に入るしかありません。
それなら強制的にお酒・タバコから遠ざけることができる。*5
それまではお酒もタバコも、やめたくてもやめられない。そこまでの間に、タバコなら火の不始末のリスク、お酒なら酒気帯び運転のリスクがかなりあります。
今でもぼちぼち出ていますが、多分今後5年か10年くらいは団塊の世代老人によるこれらの事故はコンスタントにあるでしょう。家族にとっては悪夢でしかないですが、現状ではうまい解決法はないと思います。みんな困ってる。

* * *

この「手遅れ」感は、本人の見積もりの甘さと現実のシビアさという点で、少し歳の行った女性の婚活の心理に大いに重なるところがあります。
と、書くと、該当する方々は気分を害されると思いますが、35歳の未婚女性が5年以内に結婚する率は20%程度。これは恋人のいるいないに限らずなので、婚活中の方は成功率はさらに低いはずです。
でも、70歳以上の禁酒・禁煙成功率は、まあそれ以下っつーことですよ。

*1:特に問題飲酒患者に多く接するはずの肝臓内科の先生でも、こういう診療フレームを知らない方も多いです。

*2:その態度が本当に患者さんのためになっているかといわれるとよくわかりません。ただ受診しない人は概して悲惨なので、まあ役に立ってるんだとは思いたい

*3:幸い、うちは80床クラスの中小病院ですが、公認心理師が四人います。しかも優秀です。精神科はいませんが、物忘れ外来があるからなのですが、アルコール依存の治療にも大きく貢献してくれています

*4:若い方でもアルコールで完全に脳がぶっ壊れ、失見当識というか、もはや時間の概念がかなり失われている人もいます。精神科?行かないですねぇ…行ってくれないです。

*5:あるいは、もう禁酒・断酒を諦めて、少量だけでもお酒のんでもいいグループホーム「アルコールワンダーランド」でもやろうかな、と思う時もあります。人生の最末期に、断酒による苦しみを与える意味があるのか、と思う時もあるのです。

「商売人」の時代

f:id:hanjukudoctor:20200103110820j:plain:w300
レミングの群ではありませんよ
この前、田中泰延さんの、ツイートが話題になっていた。

おっしゃる通りだと思う。
プロフェッショナルの技術と矜持はかくあるべしという主張には、僕も同感だ。
それにSNSでの中途半端なアマチュアのプロモーションが横溢した結果、対価なしにプロに依頼をしてなんとも思わない人達に苦々しく思うのも共感する。

例えば私の趣味である音楽の世界でも、堂々たるプロはSNSの宣伝はそれほど盛んにはしない。プロアマの境界の人たちがむしろSNSを積極的に使ってるのは事実だ。

もちろんSNSでの宣伝を揶揄しているわけではない(私もSNSを使っているし)。
ただ、SNSでの宣伝のうまさとプロとしての実力は比例しない。SNSは玉石混交だ。
中にはSNSでは自己アピールがうまいけれど、プロフェッショナルの要件を満たさない人も混じっている。

ただ、これは、世代感覚の違いもあるだろう。
どこかでゲームのルールがかわったためだと思う。

* * *

スペシャリストの業界の理想は実力が適正に評価され、適材適所性が担保されていることだ。
実力を積み上げれば、お声がかかり、影響力の強いポジションに移動してゆく。
そういう状況なら自分のリソースを専門技術の向上だけに注力できる。

80年代くらいまでの日本では、すべての職種において、スペシャリストはそれなりに公平な能力主義が許されていたように思う。
もちろん学閥や、大都市偏在など、多少の不公平さ、不平等はあったかもしれない。だが、おおむね平等なスタートラインに立てた*1
社会も経済も成長途上で、新たなポジションが次々と生まれていたから、あまり不公平感はなかった。再挑戦もそれなりにあったし。

ところが90年代。バブル崩壊
加えて就職氷河期
ここで、多くの業界でパイは縮小に向かう。
専門職のマーケットが飽和し新規参入が途端に難しくなった。

勝ち残るためには、今までのように実力を磨くだけではなく、実力を適切に(または適切以上に)アピールすることがプロフェッショナルの要件に加わった。
こういう事態と並行しITの進化、BlogやSNSが普及した以降の世代では発信力がことさら有用になった。

でもそれは「プロ」のポジションに参入するために、自己アピールができないと椅子にも座れない、という時代だからだ。
これは苛烈な大量動員戦争なのだ。働き方改革なんて言ってコアな業務時間は制限され、一見優しくなったように見えるけど、それ以外の時間を自己研鑽やプロモーションなどにブッ込まないと、戦争には勝てないことを皆知るべきだ。その行動の差で大きな差がついている。

* * *

まあ、そんな形で、好むと好まざると、新世代のプロフェッショナル*2たちは自己アピール力というか「売り出す力」が求められている。

こういう力は、前世代ではどちらかというと忌避されていた。
格好の言葉がある。
「ほら、あの人は『商売人』だからさ」

画家や音楽家でも、実力や作品の力以上に、アピールがうまい人は昔からいた。
医者、歯科医、美容師、庭師、お稽古事の先生……どの業界でもそうだ。
そういう人は昔は同業者の間では上述の言葉で評された。
そういう人は「真のプロフェッショナル」ではなく一段下に見る風潮はあったし今もある。
田中氏のTweetに共感するのもそういう部分だろう。

ただ、今や「商売人」じゃないと、舞台にすら上げてもらえなくなっている時代ではあるのだ。
商売人は、ネゴシエーションが上手だから、タダで仕事を発注する輩はやんわりと敬遠し傷つきもしない。
が、非商売人にはこうしたネゴそのものが煩わしいし、ネゴしないことがプロの証とさえ思っている。
* * *

ただ、世界の進歩は専門技能の優位性をどんどん失わしめる方に向かっている。
IOTの進化は、多くの専門技能の意義を無力化しつつある。
例えば、内科医の私で言えば、内科医の本分である診断学や病態の専門知識はAI診断が本格運用されると強みを失う。
診断学を頭の中に納めた老練の内科医よりも、コンピュータの操作がうまい研修医の方が正確な診断にたどりつく可能性が高いし、さらに言えば医者である必要でさえなくなるかもしれない。
知的活動の最高峰とされた囲碁や将棋の棋士が、コンピュータに勝てないのだ。無理はない。
ホワイトカラーの業務のほとんどが外部委託が可能な規模に圧縮されつつある。

外科医など、頭脳ではなく、手指の動作に根ざした領域はもう少し優位が保たれるだろうが、これについても時間の問題だ。オートメーションの解像度は年々上がっているから。

* * *

では、人間に残された仕事は何か?
というと「商売人」の部分ではないか。
かつてホリエモンが「何年も修行して寿司職人になるなんて、馬鹿らしい」発言で物議をかもしたが、
専門技能のコモディティ化はもう何年も前からで今後も進み、極大化する。
専門技術に注力する前に、こうした時代の流れを踏まえて人生設計する必要はある。
ホリエモンの言説はその文脈でみるとわかりやすい。

会社の中で、経理とか、総務・庶務などのホワイトカラーは、今後いらなくなる。
でも「社長」は最後まで不要にはならない。
逆にいうとクリエイターと「社長」以外は今後いらなくなる可能性が高い。

hanjukudoctor.hatenablog.com
少子高齢化、人口減少はもはや避けられない。
しかし、未来には、今当たり前の職が、ない可能性もある、というか間違いなく、ない。
だから、少子高齢化を食い止めた方がむしろ地獄なのでは?と思うこともある。

北欧でさえも社会の持続性が危ぶまれる水域にまで出生率がさがったという事実は、来るべき未来は人口を要しない社会だとみな暗黙知で感じているのではないかと最近は思っている。

日本の中小企業の数は380万。
もし未来の世界にクリエイターと社長しか職がないのだとすれば。
扶養家族・フリーランスの数も含めて、日本の最適人口は1000-2000万人くらいなのかもしれない。

今の日本が向かっているのはそういう方向だ。
だから人口が縮小することそのものは問題はない。
問題は、老後世代を養うためには一つ若い世代の収入をあてにする必要があることだけだ。

*1:もちろん、女性は昔はこの当然の権利を付与されていなかった。今は男女の差別という意味ではむしろ公平ではあると思う

*2:厳密にはマーケットの飽和した業種に限られるが