半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

医師のSNS投稿は許されるか?

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hanjukudoctor.hatenablog.com
にも書きましたが、twitterの「医クラ」に、足を踏み入れ、最近はいろいろ交流しています。
おもしろいね、SNS。あと、フォロワーの多い方々の発するつぶやきは、やっぱりおもしろい。

しかしTwitterで匿名であれ実名であれ、医療者の人が発言をしたりすると、それに対してとかく攻撃されるような場面をしばしば見かけます。
「医者なのにこんなこというなんて!」的なね。

* * *

個人的には「医クラ」の匿名アカウントは、医療従事者の現場のナマの声を聞けるので、とても貴重なものだとは思ってます。
でも、世間一般の人が医者の(もしくは看護師なり他のコメディカルの)「ホンネ」的なコメントについて、反応はさまざま。
どちらかというとネガティブな反応が多い。
なぜなんでしょうね。

ところで、「聖職者」ってなんなんでしょう?

* * *

市民社会(詳しくはググるなりしてWikipediaでも見てほしい)においては、身分や職業による差別・区別はない。
基本的に平等で自由な一個人として振る舞う。
もちろんそれぞれ言論の自由もある。

もちろん仕事に携わっている時には各々が自分の職業人格として振る舞う。
が、いざ仕事を終え、オフタイムでは、そういう職業人格を脱ぎ捨て、一消費者として、一家庭人として、一市民として、つまり自由な一個人として振る舞う。
これが市民社会、の基本原則のはずだ。
西ヨーロッパにて端を発した市民社会制度であるが、現代日本も同じような法体系で運用されている。

その意味からすれば、仕事を終えた医師が、仕事以外の場で何をしゃべろうが、別に問題はないはずだ。
あ、もちろん特定の個人情報につながるような話は、守秘義務の関係で話してはいけない。
でも、それはそれとして、言論の自由市民社会の市民として、あるはず。

* * *

しかし古来から「聖職者」といわれている職種、医者・宗教者(坊主・牧師)、教師については、純然たる「市民社会」の市民としての行動以上に振る舞うことを期待されている。すくなくとも今まではそう振る舞うのが当然とされていた。

これらの職業では、オンオフの切り替えを原則許されていない。
だからこその「聖職者」なのだ。
そもそもオフタイムというものが存在しない。
医師は身命を医療に捧げることが暗に求められている。

例えば「医師の応召義務」が、日本にはある。
法律なのか倫理規定なのか、よくわからないのだが、これこそが「前近代」的な職業倫理で、
本来近代法体系は市民社会制度という欧米の暗黙の常識に立脚しているはずだ。
だが、あの日本の応召義務の条文はその暗黙の前提をぶっとばしていると僕は思う*1

* * *

本来の市民社会においては、業務を終えた医師がオフタイムに何をしようが、何をしようが、自由であるはずだ。

ところが、前近代的な倫理観では、そもそも医師にはオフタイムが存在しない*2
医者はオフのときも医者であり、職業の衣を脱いではいけないというわけだ。

そういう考え方からすると、Twitterで、「おっぱい」とか呟く医師は、医者にあるまじき言動でけしからん、ということになるだろう。

* * *

これからはどうなるだろう。
SNSでの言論というのは、そういう因習的な価値観に対して、すこしずつ変化してゆく兆しのようなものではないか、とも僕は思っている。
ただし守秘義務的なルール作りは、もうちょっと積極的に考えてもいいのかもしれない。
ツイッター医学界の指導医・専門医の先生方におかれましては、そういったルール作りを検討いただけると幸いである。

* * *

「医師の働き方改革」も、医者も市民社会の一員としてきちんとオンオフをできるための試みであるように思う。
そこは当然、応召義務についても併せて見直さないといけない。
要するに、働き方改革は、そもそも医師の「聖職性」そのものに対する見直しである。
ここをきちんと考ておかないと、論理的整合性を欠く。
制度の残業時間とか、そういう平仄をあわせることではなく、この背後(せぃご)にあるパラダイムチェンジについて議論ができればいいと思う。

* * *

僕は、個人的には医師の聖職性なんかどうでもいいと思っているから、この改革で、医師の特殊性が少し薄れ、医師が単なる知的情報処理者および知的肉体労働者として振る舞うことになることには賛成である。

ただ、医師が日常業務で行っている知的情報処理は、世間に思われているほど高度なものでもないし、AIでもある程度代替可能だ。
医師の高額な報酬の背景には「聖職」として通常の職業人以上の貢献を要求されていた分も含まれていた。
それが剥ぎ取られてしまったら、医師の給与水準は論理的な帰結としておそらくまあまあ下がるだろうとは思う。

*1:その他に日本が市民社会ではないなと感じたのは、昔JR福知山線の事故のあと、JRの社員が宴会をしていたりしたのがバッシングされた報道があった。あれも本来は、業務外の個人は関係ないはずだ。

*2:現在の社会制度で、他業種との交流に気を使う職業としては、税務署員、判事・警察官などがある。これらこそは現代の聖職者かもしれない

僕は、アカレンジャーじゃない。

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福山のジャズフェスの時の一コマ
新年あけましておめでとうございます。
一年の始めっぽい話をしましょうか。

アカレンジャー

現在の自分は、親の跡をついで創業40年目の医療法人の二代目理事長です。
理事長としては3年目。院長になって5年目です。

それまでは基幹病院で勤務医でしたが、正直にいって、実家に帰り、トップとして経営・診療をする、ということについては、躊躇していました。
39歳まで戻るのが遅れたのはそのためです。

なぜなら、僕は「アカレンジャー」じゃないから。

* * *

アカレンジャー」は戦隊モノヒーロー番組の元祖、ゴレンジャーのリーダーですね。
僕、アカレンジャー(端的にいってリーダー的な資質の記号です)むいてないんです。
性格的にも、能力的にも。

アカレンジャーのように、皆を叱咤激励して、大きな声を出して鼓舞して、先頭を切って斬り込んで、仲間を思いやって、ということを、臆面もなくやりきることができない。恥ずかしい。正直バカなんじゃないか、とさえ思ってしまう。

そう、僕はどちらかというと、個人プレイを好む、シニカルな青か緑なんです。
軍人で言えば、将軍ではなく、将軍のそばに侍って悪巧みをする参謀や軍師。

体育会系でもなく、人を率いた経験もありません。
多くの人に慕われた経験もありません(むしろ毒舌めいた直言をするために、好き嫌いわかれるタイプ)。

そういう自己分析は出来ていたので、どうしても実家に帰ってトップとして振る舞うのが、いやだった。
こんな徳のない人間が、トップになったってあかんやろ。
と思ってました。

アカレンジャーとして振る舞うために

そうはいっても、僕以外にこの組織をハンドリングできそうな人はいなかった。*1
また、昔から馴染みの職員が、待ってくれているのも知っており、実家に戻ったわけです。

内科医としては、基幹病院で仕事をしてましたし、プライマリも大丈夫。
数こなすのも苦手じゃない。マルチタスク*2もかなり得意な方で、そこのギアチェンジは問題なかった。

ただ、リーダーとして振る舞う自信はありませんでした*3

努力したこと。

とはいえ、そうもいってられない。
そこで趣味の世界でちょっと工夫しました。

長年ジャズトロンボーンというのをやっていて、セミプロです。
お店でBGM演奏とか、プロの混じるライブにサイドメンとして参加できる程度のレベルです。
日本のどこのお店でもジャムセッションで臆せず飛び入り参加はできる*4

でもその能力は、いわゆる個人技です。医師の能力と同じく。
その頃の音楽活動は呼ばれてライブに参加するとか、いわゆる「客演」が主でした。
もちろんMCとかもしません。

* * *

それを、思いきって、バンドを作って*5リーダーになりました。
MCをしたり、バンドの運営をしたり、お店にライブのブッキングをしたり、集客をしたり。
自分がリーダーで、全責任を負うバンドをやりました。

もちろん、やりたい音楽を実現させること、が大前提です。
が、この行動の裏には組織の長として必要なことを、バンド運営でシミュレーションできないか、という考えもありました。
自分が汗をかいて自分が牽引するバンドを作ったわけです。

やっぱりバンドって色々難しくて、メンバーは僕には過分なほど能力のある人揃いでしたが、皆が同じ明日を目指しているわけではない。
やめない程度に牽引し、やりたくなるような選曲やアレンジをし、顔色をうかがいながら(あ、いい意味ですよ)やっていきました。
お陰様で、わりと好評を博し、大きな舞台にでても映えるバンドになりました。

また、ジャズ・ボーカルというのも経験してみたりしました。
これも、一つの「アカレンジャー」の練習でした。
jazz-zammai.hatenablog.jp
に少し書いています。

気づいたこと

hanjukudoctor.hatenablog.com
にも少し書きましたが、去年透析クリニックの先生が急逝されました。バンドはその時から凍結したままで今に至ります。

病院と透析クリニックは、正直いって、戦線崩壊の危機だったと思います。
私も半端なく動きつづけ、皆を叱咤激励し、自分も診療しまくり、なんとか持ちこたえましたが、そのときの自分は、少しアカレンジャーっぽくなれたんじゃないかと思います。

* * *

バンド運営も軌道に乗ったあと、気づいたことがありました。

当初は自分のやりたい音楽の方向に向けて、ディレクション=舵取りをする意識がかちすぎていたように思います。
どうやって、みんなに自分の言うことを聞かせようか、という風にばかり考えていた。

ただ、バンドって、全員が同じ方向を向いてはいないのですが、それがいけないんじゃない。
多少の思惑の違いはともかく、個人の勢いを殺して意見を統一するよりも、個人の勢いはできるだけ活かし、方向性がすこーしずれてもあまり気にせず、メンバーに感謝してたほうが、うまくいくことに気づきました。

大きな組織になっても同じで、すべての人間が完全に同じ方向を向いていなくてもいい。
多少多様性があり、ガヤガヤしても、いや、している方が組織の底力になるんじゃないか、ということです。
メンバーひとりひとりの資質なりに頑張っているのなら、否定せずに褒めて、そして感謝した方が、うまくいく。
何より楽しい。

やっぱり僕はナチュラル・ボーンのアカレンジャーじゃない。
もしそうなら、逡巡なくこう考えられるはずです。
僕はアオレンジャー的な狭量さが抜けず、意識しないと、そう振る舞えない。*6

最後に

未だにアカレンジャーという立ち位置は慣れません。
経営者という人たちの集まりにノコノコと顔を出すことも慣れません。
僕はゴルフもしないし、酒も飲まない。
タバコの煙る夜のバーで方向性の見えない話をしているくらいなら「帰って本でも読みたいな」とか思ってしまう人間です。

あくまでアカレンジャーは仮の姿。
しかしその下に着ている服は一体何色なのか。
最近はアカレンジャーのレンジャー服も体に馴染んできたので、今自分が何色レンジャーなのか、わからない昨今です。

でもまあ僕なりのアカレンジャーを演じ続けよう。
最近はそう思っています。

職員のみんな、ありがとう。
今年もがんばろう。

*1:情熱という意味でも、能力という意味でも

*2:またこれは別稿にしたいと思いますが、マルチタスクの才の有無は、臨床でかなり重要だと思う。

*3:正直、今でもありません。体質的に向いていないと思う

*4:これは上手いのではなく恥知らずなだけかもしれない

*5:Endemic for Jazz in Fukuyamaという3管編成のバンドです。

*6:ただ、やはり指示する方向は大事で、結局そのバランスが経営の要諦なんだと思う。アカレンジャーの人は、そういうディレクションをしてくれる軍師が別に必要なんだと思う。ただ、それは僕の悩みではない。

大晦日(一年間ありがとうございました)

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気がつくと 2018 年も終わり。
早いもんです。年々一年が早く感じるのは、自分が歳をとったからなのか*1
一年間ありがとうございました。

* * *

僕は2000年くらいからジオシティーズでウェブサイトを始めました。*2
まあまあ早くからネットの世界にもいたわけです*3
その後、臨床が忙しくなったりもしましたし、結婚して家庭を持ったりもして、ウェブの更新の優先度はどんどんさがっていました。
一度はほぼフェイドアウトとなり、それでも年に数本だけ記事をほそぼそと続けたりもしていました。

媒体としては当初はHTMLのタグ打ち、その後「はてなダイアリー」を長らく使っていたのですが、これも閉鎖されることが決まっています。
それで、2018年9月はてなブログへ移動しました。

もう一度ネットの世界のやりなおし。
古いゲームのカートリッジの埃を払って、もう一度ゲームを再開したようなものです。

* * *

久しぶりに戻って来たWebの世界は、だいぶかわっていました。
もちろん自分のありようもだいぶ変化してますけどね。

久しぶりにネットの海を見渡してみると、Twitterの「医クラ」(医療クラスタということなんでしょうね)といわれる一団に気がついた。
僕もTwitterは結構前からやっているのだが、音楽とか地元のつながりばかりだった。
要するにFacebookの友達リストとTwitterのそれがほとんど重複していたわけです。
リアルで知らない人とは、交流していなかった。

しかし「医クラ」は、Facebookのようなお互いに知っている人同士ではなく、全然知らない多くの人々が自由につぶやている世界がありました。
なんとなく、昔のネット社会を彷彿とさせるものがあった。

おもしろいので、この「医クラ」の末席で活動をすることにしました。
2018年の下半期は、このTwitterを頻繁に出入りしていました。
相互にフォローしたり、リプを飛ばしたりしてみる昨今。
新しいゲームを始めたような面白さがあります。

残念ながら、僕の年代(僕は昭和49年生まれ、多分ロスジェネ世代)はTwitterの活動はあまり多くはないようで、大体少し歳下の医師が言論の中核をなしているのは少し寂しくもあります。
しかしこういうウェブの世界では年齢は関係ない。
いいツイートをする人がえらいわけだから。

まだ僕はこのTwitter「医クラ」に慣れてません。
どういうTweetがバズるのか、皆が興味を持っているものは何か、なんとなく色々試している昨今です。

* * *

ここ数年はFacebookのような、ほぼ閉鎖的なところでしか活動していませんでした。
今年は BlogとTwitterにすこし力を入れましたが、やっぱりオープンなところに物を書くって、リスキーです。

コンテンツとしての面白さとバッシング受けやすさはトレードオフの関係にありますから、そのポイントを見極めなければいけない。
私は匿名ではなく実名を晒してTwitterをやっていますから、炎上はさらにリスクが高い*4

それからドラッカーいうところの「顧客」を設定しなければいけない。
このブログは、誰に向けて書いているのか。
非医療関係者の一般の人か、それとも、いわゆる医療関係者か、僕と同じ経営者にむけて、なのか。
これが今ひとつ自分のなかでもあいまい。僕は経営者でもあり、病院の中ではほぼ奴隷型労働者であり、オフタイムは演奏者でもある。
自分のどの部分を切り取るべきか、というのが今ひとつ定まっていない。
「顧客」を明確にすればPVが伸びるだろうということはわかっていますが、どうも吹っ切れない。

ま、ともかく、来年もその場その場でいろいろ思うことを書き記していこうと思います。

その他のBlogの更新:

9月以降、Websiteの内容を3つのはてなブログに移してから、
このブログは14本、
ジャズブログは21本、
本とか音楽とか映画のブログは47本。今年は結構書いたなあ。

*1:ジャネー効果でしたっけ?

*2:今年度でジオシティーズが終わってしまうのも、感慨深いというかなんというか…

*3:当時は研修医でした

*4:しかし、実名を晒していることで、自分の中で慎重に振る舞おうという緊張感はあります。匿名の方がうっかり不穏当なことを発言してしまうかも

遠隔診療はどうなったか?

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すごい人数でした。興味もっている人は沢山いらっしゃるんですね。

この前、第一回日本オンライン診療研究会をみてきました*1
遠隔診療については、以前にこのようなことを書いています*2
その1https://hanjukudoctor.hatenablog.com/entry/2017/07/15/000000
その2https://hanjukudoctor.hatenablog.com/entry/2017/07/16/000000
その3https://hanjukudoctor.hatenablog.com/entry/2017/07/20/000000
その4https://hanjukudoctor.hatenablog.com/entry/2017/07/23/000000

当院でも、2017年に遠隔診療導入を行いました。Medley社のCLINICSと契約し、実際にオンライン診療を開設したわけです。
しかし実際大して数もなく、顧客満足にもつながらなかったし、諸事情もあり*3凍結に至っています。

そして2018年の診療報酬改定をうけて、熟考した結果、凍結を継続……いやむしろ一旦契約解除してリセットしてもいいんじゃないかな、とさえ思っています。

* * *

オンライン診療研究会そのものは興味深かったんです。
うまく使えば、やはり強力な武器になったりするなあと思いました。
特に婦人科(若い女性は受診をためらいがちで、受診障壁を下げる意義は大きい)であったり、皮膚科(オンラインでも皮膚の視診はかなりできるし、薬剤のドロップアウトも少なくなる)などの領域での成功事例はとても興味深かった。

また、小児精神の発達障害外来などでは、診察室に行くことが困難な患者の、家でのリラックスした様子などが診られる。
これはむしろ対面診察「以上」の強みがある。
遠隔診療には、通院外来にはない良い部分も間違いなくあると感じられましたね。

ただ、勤労世代に対する生活習慣病、に関しては診療報酬上の縛りもきつい。
メリットが乏しい。
そこが自分のフィールドなんですけれども。

また、研究会のあり方に関して。
インフラに紐付いた研究会であり、学術的な側面は重視されないだろうな、とは推測してはいましたが、それにしてもそれぞれの発表がナラティブ過ぎやしないか?
とは感じました。

オンライン診療って、どちらかというとライフログバイス(体活動計とか)とも親和性が高く、やろうと思えば、ごっそりデータはとれるんじゃないかと思う。その意味では緻密な定量評価みたいなものを、少し期待していたんです。
そういう発表はなかったし、アウトカム分析とかにしても、定量評価がなさすぎたように感じました。
プレゼンテーションに関しても総じてスキルが低く、学会活動に慣れていない、もしくは引退された先生方の、主観的な意見発表という印象を受けました*4
これでは、非遠隔診療勢(要するに、普通の診療体制)を納得させることは、難しいと思う。*5

* * *

当院がクリニクスを用いた遠隔診療をやめた理由は、主に以下のとおり。

  • 2018改定。3ヶ月ごとに対面診療を必要。それなら3ヶ月内服で済む。遠隔診療の候補となりうる勤労世代の生活習慣病患者で、頻繁に採血しない方は3ヶ月処方で診てます。(もちろん薬剤コンプライアンスは確認しています)
  • 医療法上病院で遠隔診療は欠点が多すぎる。病院の外来人数は、常勤医師に比して人数の限界があるし、当院の外来も飽和に近いのが実情。人数は無限ではないなら受診間隔を伸ばし、外来の検査の密度を上げ、診療単価を上げる方向に努力しないといけない。遠隔診療は点数は低いので病院の方針に添わない。
  • 初期投資とランニングコストの契約条件からいっても、収益化が難しい。

もちろん、在宅診療に応用してマネタイズすることは不可能ではないが、その場合は、スマホ親和性が低いため、クリニクスでは、ちょっと具合が悪い。
もっと介護連携のグループウェアと親和するものが適していると思います。

* * *

厚生労働省としては、遠隔診療は、どの科でも、診療所でも病院でもどこでもできる「一般診療手技」なので、やみくもに導入すると、影響が大きすぎる。
現在の医療体制を崩したくない、という思惑もあるようだ。*6
確かにそうかもしれない。
基本的には遠隔診療はある種のマッチングデバイスだから、現在の完成された医療提供体制に対し、あまり大きな修飾を加えたくないのかもしれない。

ということで当院では残念ながら次の改訂まで遠隔診療は保留になりそうだ。
待つと、新たなベンダーも増え、価格もかなりこなれるだろうし。

しかし例えば財政難、人材難などで、現在の医療提供体制がクラッシュしてしまう事態。
近い将来これが起これば、上記の前提はくずれる。
そうなると制限がなしくずしに撤廃される可能性はある。

ともかく、現時点では、遠隔診療は効率性を上げるための秘策として、まだ温存されている段階だなと思ってます。

その他のBlogの更新:

このブログに引っ越してから、13本の記事を書いているようです。
んー。13本かー。
体感的にはもうちょっと書いてる気もしたんですが。

このブログ記事、割と「重」いじゃないすか。
読む方も大変じゃないですか。一記事の字数がありすぎる。

もうちょっと軽く行きたいもんです。
このBlogの「顧客」(ドラッカー的に)は一体だれなのか、それも、考察すべきところです。

ジャズブログ:

更新なし

*1:別の出張のついで

*2:新しいものに出会った興奮が若くもあり、今にして思えば苦くもあります。

*3:透析クリニックの院長が急逝されたため、急遽シフトの再編成を行ったわけですが、優先度が低いので凍結してしまいました

*4:いい発表もありましたよ。ただ玉石混交感がいなめなかった

*5:企業のプレゼンはさすがに質が高かったことは補足しておきます

*6:技官がいらっしゃってました。

地回りMRの未来

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どのような文明でも、黎明期には土地が開拓され*1たりして人口が増えて発展してゆきます。
成熟期に入ると単位面積当たりの収穫量は頭打ちになり、コストに対するリターンが逓減してゆきます。
さらに気づかれない形で生産性の低下が先行し、生産性の低下があるポイント(損益分岐点的なもの)を割り込むと、悪循環に陥り、かなり悲惨なスパイラルが発生し、最終的には環境を消耗させきって土地は荒廃し、文明は長い停滞期に入ります。

 ギリシア都市国家群、メソポタミア地方、北米アメリカ、南北アメリカイースター島などで、このような経過が観察されています。「文明崩壊」「人はなぜ人を食べたか」という本にはこのあたりが詳述されていますが、そもそもが私はこういう「世界の終り」に幼少期から非常な興味がありました。
おそらく一代で開業した父を背中にみているときに、自分が担うのは別の局面ではないか?ということを強く意識したせいだと思います。

ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源 (ハヤカワ文庫―ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ヒトはなぜヒトを食べたか―生態人類学から見た文化の起源 (ハヤカワ文庫―ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

文明崩壊 上巻

文明崩壊 上巻

hanjukudoctor.hatenablog.com
(以前にこのようなことも書いています)。

* * *

文明の衰退期の局面には暮らしたくないよなーとつくづく思います。
今日よりも明日の方が悪くなる世界。
今ある人口を将来は支えきれず、餓死や逃散が横行する。

最近強く感じるのはMR*2さんの業界はまさにそのような収斂局面にあるってこと。
先発品が構造的に出にくくなっている現状、ITの発達による対面面談の効用限界。
それどころか高コスト体質の製薬会社の重荷として*3、MRの社会的意義は、今後ますます逓減してゆくのでしょう。

このことは経済財政諮問会議での「骨太方針」というのにもはっきり示されていました。
日本の製薬会社の財務構造は極端に販管費に重点を置きすぎており、創薬の点で国際競争力を完全に失いつつある。*4
財務的な構造改革が暗に促されています。

今は個々のMRの暮らしぶりは変わっていません。
しかし兆しはあり、大きな変動は起こっています。
数年以内に体制は目に見えて変わるでしょう。
個々の薬剤にスペシャライズドされた本社配属のMRはともかく、地方営業所のMRは、いつまでいるのか。

私はMRを「医療情報の中間流通業者」とみなしています。ここ近年の流通革命がこの分野にも起こっただけのことです。
営業所もどんどん集約され、地方の講演会なども、どんどんWeb講演会などに置き換わっています。

MRが自社製品をアピールするために配っていたノベルティグッズは、2018年末で廃止です。

考えてみたら「営業」で、夜の接待もない、価格交渉権もない。他社との比較も制限されている。ノベルティなどもない。これでどうやって売るのか。

うまい商売は、いつまでもは続かない。
でも、本気で足元が脅かされないと、なかなか動くことはできないんだろうなーと思います。
医者もよく言われる、「茹でガエル」の理論ですね。


* * *

今後の方向性として僕が考えるのは以下の通り。

  • エージェント化。MR資格を保つフリーランスが、新薬がでたら1~2週間どっかで研修を積んで焼畑農業的に全国プレゼンしまくる。役目を終えたら契約終了。これは製薬会社としてはMRを外注化して固定費を抑えることになります。まずまず、現実的ですし、一部そうなっています。
  • キュレーター化。例えば薬の知識が十分あるなら、卸会社に転籍すれば、他社比較ができます。「保険の窓口」みたいに、製薬会社に偏らない情報提供ができれば、医療者にとってはかなり便利です。ただしこれ、マネタイズは難しいと思います。今より該博な知識を要求される代わりにフィーは下がる*5
  • ドラッカー流の「顧客」の再定義も面白い。今までの構造ではMRの顧客は医師でした。これを最終消費者である患者さんにすれば?そういう起業はないもんでしょうかね。

* * *

ただ、「MRやばいやばい」みたいに対岸の火事をみているつもりでも我々知的職業としての医療職の衰亡の方が、早いかもわからんよね。
AIとかにやられて。

また、いまある医療行為の多くが、不必要なものとしてバッサリ切り捨てられることもありうる。
本当に国にお金が無くなったら、ADLが落ちた方の存命は社会的に望まれなくなるでしょう。
倫理的にどうか…という問題が生じれば、倫理観の方がおそらく変わる。
いまだってゆるやかにそうなりつつあります。

その他のBlogの更新:

 急に寒くなりました。今週末も東京に出張していたんですが、土曜日の午前中の時間を利用して、中野にあります「むし社」にいって来ましたよ。
 昆虫好きの息子のために、聖地巡礼といいますか……
2019年むし社カレンダー無料配布だったものですからね。
個人的なことを言えば、カブトムシ・クワガタの匂いは苦手です……

ジャズブログ:

更新なし

*1:狩猟採集社会を除く

*2:MRはmedical representatives の略で、簡単に言うと製薬会社の営業の事です。

*3:MRの給与は我々医療対人援助職が想像しているよりもずっと高い

*4:そもそも世界の中で薬を創る能力のある国は6カ国しかないそうですが、ここ近年はアメリカだけが伸びている状況らしい

*5:ま、今はその社会貢献性に見合わない報酬だと、単純に言えると思います。

エナジードリンクの欺瞞

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エナジードリンク飲んでますか?

* * *

僕は、長らくレッドブル党でありまして、何かっちゃあ、あの甘ったるい飲料を飲んでいます。
場合によっては一日に2本3本飲むことも当たり前。

* * *

私は1974年生まれ、2000年卒の内科・消化器肝臓内科です。
いわゆる団塊ジュニア世代でありまして、多分今よりは競争率の激しい環境で受験勉強に臨み、医師になりました。

2000年に研修医になった時にはInternet上にWebsiteを作り、半熟ドクター(Half-Boiled doctor)という名前で、なんか色々書いていました。
それはともかくとして。

私が駆け抜けた時代は、割と若者が割をくった時代ではないかと思います。
いわゆるロスジェネ。
同世代の非医療関係の友人は、就職氷河期で苦労していました。
医療情勢も、私が医者として育った2000年から2010年の頃は、あまり雲行きがよくなかった。
全体としては、メジャー離れ、内科離れ、大学医局離れが静かに進行していました。
そんな中で、地方国立大学の消化器内科の医局に所属していた私。おまけに昨今叩かれている、大学の無給医。
いや、無給医ではないですよね。学費を払って仕事を「させていただいて」いたわけです。

田舎には内科医が少なくて。
なおかつ大野病院事件などもあったりして。
医療が信用されないというか、非医療者から不信の目を向けられる時代でした。
医療過誤訴訟も多かった。
そして、自分たちが一人前になると、今度はスーパーローテート制度が始まり*1、後輩の入局が二年途絶えたりして、医局人事が麻痺して、またそれでみんなデスマーチを乗り切ったりもしました。

とはいえ、楽しかったですよ。別に人間どこだって楽しめはするもんです。
ただ、プライベートの時間は制限されていたし、今の「働き方改革」的には完全アウトな日々でした。

* * *

2007年から野戦病院型の市中病院にでて、ずっと待機で呼ばれ続ける日々が始まりました。月に6−7回当直もしくは待機(オンコール)、それに加えて消化器救急(吐血とか)随時というハードな業務でして、その頃くらいから、30代後半、睡眠障害が始まります。
内視鏡センターのリカバリー用のリクライニングベッドで仮眠をとるのは当たり前でしたから、無理もなかったのかもしれません。*2
頭の中に薄靄がかかったようなのが常態で、医者はつくづく体力だよなあと思いました。
完全に飲酒の習慣がなくなり、15kg程度のハードなダイエットに成功したのもこの頃です。

その次の病院は、同じく市中病院でしたが、医師が多く役割分担が出来ていたので、専門特化して、前ほどハードな何でも屋ではなくなりQOMLはかなり改善したんですが、睡眠障害は改善せず、変な睡眠リズムのまま生活が続いていました。
この頃は本当に生活は荒んでいて、夜中の2時から6時までカラオケボックスにいって楽器の練習をしたり、眠れない朝4時にジョギングをしたりしていました。*3
この頃当直明けのどろりとした精神状態をなんとかしたくて、レッドブルを飲み始めるようになりました。

* * *

医学的に考えると、エナジードリンクに、そこまでの覚醒効果はありません。
ただ、カフェインを手軽に摂取できるので*4、それによる頻脈とか動悸感は、エンジンにニトロを入れるが如きのブースト効果のような錯覚があり、プラセボとして、自分のルーチンとして、飲用していたように思います。
エナジードリンクを入れることで、心の中のBダッシュボタンを押していたわけです。

ただ、常に疲れているので、だんだん量が増える。
レッドブルを一日一本、当直明けは2〜3本、みたいになって、ちょっとやばいと思いました。

* * *

今は中小病院の内科医師(肩書は理事長)ですが、実は今が人生で一番忙しいです。*5
エナジードリンクも飲みまくりの日々でした。

去年、少し思うところがあって*6エナジードリンクの常用をやめることにしました。
レッドブルのかわりに、職場のウォーターサーバーの冷たい水を飲むことにしました。
ごくごくと。
するとね、別になんの問題もなく働けるわけです。

やっぱり、プラセボ

今は、当直の日とか、まあまあ疲れているときはやはり飲むことはありますが、量は3分の1くらいに減っています。

自省しますと、やはり、本心では当直はしたくないんだと思います。
いつもと別のモードにスイッチを入れるために、この手のエナジードリンクを使っていたんだと思います。

その他のBlogの更新:

いやー…2週間空いてしまいました。色々忙しかった…というとアレですが(前から忙しかったですから)。
悪い癖がでました。大体過去数年間は年間数本しか書いていないのに、結構9月から割と密に書いたんで…
Web腎虚かしらん。

*1:ちなみに私は大学病院での研修を半年してから、地方の病院に赴任しましたが、実はこのとき研修医ではなく医員待遇だったんです。今思うと「怖っ!」と思いますが、そんな中生意気な私を導いてくれたローテーターの先輩、内科部長、院長には今でも頭は上がりません。

*2:唯一の救いは、この病院は超野戦病院型だったので、日中の外来の患者さんは決して多くはなく、当直明けですらない夜間業務でぶっ倒れていても、まあなんとか回ってたことでしょうか。

*3:個人的な感想をいうと、朝の5時台はジョギングで済みますが、朝4時台は不審者です。

*4:ほんとにヤバイときにはカフェインタブレットを試したことがあります。結構頻脈になって、キメてる感じがありました

*5:当直はそれほど多くはありませんが、日中の外来・病棟がとにかく忙しく、バタバタ走り回っています。合間に各種会議があるし。医師会理事もしているもんですから、その手の仕事も多くなり、気がつけば、一ヶ月家で夕食をとるのは1日か2日になりました。土日はたいてい何かあって出張しています。

*6:ちょっとだけ長生きしたくなったんです

免疫「力」の話

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(2007年に旧サイト『半熟ドクター』に書いたものを少しリライトしました)

 2018年は本庶先生がPD−1でノーベル賞を受賞され、癌免疫療法の認知度が一気に高まった感あります。非常に喜ばしいことではある反面、高額な民間代替療法としての「癌免疫療法」に患者をミスリードしないかという懸念もあります。
 新しい免疫療法もとんでもなく高額ですが、まあまあ由緒正しい詐欺である「癌免疫療法」*1も、まあまあな金額を患者からむしり取るわけで、そこも鑑別が難しいところでもあります。

 免疫については、それが詐欺かホンモノかは、私は次のスクリーニングを用いています。

「免疫力」という言葉を使っているかどうか。

です。

「免疫力」という言葉はカモ発見器であり、「免疫力」という言葉をみれば、我々は眉毛にツバを塗ればいい。

* * *

 免疫、というメカニズムは、非常に複雑な生体内のシステムとして間違いなくある。
 個々人によって免疫という防御力の強さ弱さという違いも当然あるでしょう。

 こうした学問的集積を受けて、例えば健康番組やサプリメントの宣伝などでは「免疫力」という言葉を使います。
 が、医者は声高には主張しませんが、現時点では、個々の免疫システムの強さ弱さを測る総合的な尺度は、ないんです。

 体内の免疫機構は非常に複雑な系です。
 液性因子(免疫グロブリンとか)や細胞因子(T/B cell,Dendritic cell, NKT cell, macrophageなどのさまざまな細胞)が複雑なネットワークを形成している。Toll-like receptorなどによるinnate immunityの研究お盛んですし、そもそも我々の皮膚や消化管上皮などの物理的な障壁*2、生体の防御システムの一つであり、これも広義の免疫システムに含みます。

 我々が観測出来るのは、この複雑なシステムの部分部分の要素だけです。
 確かに免疫学は近年発達いちじるしく、計測しうるパラメーターは沢山ありますが、総合的な「免疫のつよさ」というのは測れない。
 生体内での免疫の総合力は、定量化できない。

* * *

 例えばワールドカップのサッカーチーム。
 どの国がどれくらい強いという、強さの総合力は、数値で表すことは出来るでしょうか?

 ブラジルは多分日本よりも強いことはわかる。
 ですが、何倍強いとか、そういう定量的な評価は難しい。
 現時点で、スペインとドイツどちらが強いか、というのもわかりません。

 サッカーの場合、二つのチームを直接争わせれば、勝った方が強ことで優劣はつきます。
 だが、個人Aの免疫力と個人Bの免疫力を直接戦わせることはできません。
 比較したい二つのチームを直接戦わせることが出来ないのであれば、全く同じ対象に戦わせて比較するという手法も可能でしょうが「免疫力」に関しては同様のアプローチをとれません。
 例えば実際に病原菌(もしくは免疫系に反応するような物質)を体内に入れて、免疫系の反応を見る、という手法は、免疫に異常を来しているかもしれない人間に多大なリスクがあるので、ちょっと現実的に難しいでしょう。
 
 なら、試合をしない状態で選手を評価しないといけない。
 これはパドックで馬の状態を見て、馬の強さを推測するのと同じです。

* * *

 ま、確かに免疫関係のマーカーというのはあります。白血球分画、Ig分画、補体、各種炎症マーカー。

 これら保険適応のある臨床検査項目に加えて「免疫力」というものを多少なりとも評価する手段として、いわゆる「疑似健康科学」でよく使われるのが、ナチュラルキラー細胞の活性もある。

 ですが、これらで、現実の免疫「力」は判定できないと思う。
 これらの検査項目は、たとえば、選手の平均身長を調べるようなものです。高いチームは強いかもしれない。

 確かに極端な例、例えば平均身長が130cmのチームは、異常だわね。ミゼットサッカー?、もしくは小学生サッカーチームかもしれない。平均が180cmのチームに比べると、総合的な「サッカー力」は多分劣っていることは予想される。しかし、平均身長が175cmのチームと平均身長が180cmのチームを比べれば、180cmのチームが常に強い、とは言えない。

 もしくは、フォワード選手の50m走の速度。
 速いチームは強い可能性がありそうです。
 チームの強さを間接的に測る尺度として、例えば、選手の足が速いとか、身長が高いとか。キック力が優れているだとか可能なリフティング回数だとか。そういった一つ一つの要素は定量的に測ることはできましょうが、それらすべての要素を足しあわせても「チームとして」の強さ弱さを直接知ることはできない。

 「免疫力」の強さ弱さはチームとしての強さと同レベルの問題です。
 それは、最先端の免疫学でも完全にはわかっていない*3

 個々人の患者さんの免疫を調べる時に、要素還元的に一つ一つの検査項目から推測するしかない。
 これは選手のフィジカルだけでチームの優劣を決定しているようなものです。

 「免疫異常」の病気は、サッカーのたとえでいえば、選手の平均身長が130cmとか、選手が全員リフティングが全く出来ないとか、50m走が平均で20秒とか、明らかにサッカーが成立しないレベルの異常です。だから計測数値にも意味がある。
 でも、普通に生きている人の「免疫力」を調べることは、たいてい難しい。

* * *

 ではなぜ、ああいう「健康番組」では「免疫力」をことさら強調するのでしょうか?

 それは「免疫力」は数値化出来ないから。
 従って「免疫力があがる食品」とうたったとしても、実証するすべも反証するすべもないから。

 だからみんな「免疫力」を言いたがるわけ。
 証明出来ないんだから言いたい放題。
 嘘を言っているわけではない。

 それらの食品に「免疫力」が上がる効果がない、と言っているわけではありません。
 それも実証できない。
 しかし少なくとも「免疫力があがる」みたいな言い方で宣伝をしている、サプリメント、健康食品は、少なくとも根拠があってそういう言い方をしている訳ではないということは、みなさん知っておいていいでしょう。

その他のBlogの更新:

週末の出張の予定から、バンド練習など忙しいんですが、そろそろ中小病院のハイシーズンであることを忘れていました。
昼間はてんてこ舞いで走り回っています。
ジャズであれば、譜面を書かずにその場で合わせることも多いのです。
が、今回はかっちりしたバンド、3管のファンクバンドと、総勢22名出演するアニソンバンドのホーンセクション。
きっちりと譜面を作る必要があり、それに忙殺された2週間でした。
そのため、Blogはやや低調です。

*1:「詐欺」というと、幾分強い言い方ですが、情報の非対称性を悪用した商法、供給者側が効果を信じていない事実を考えれば「詐欺」という言葉がぴったりでしょう。まあ当人たちは否定するでしょうが。

*2:これは城壁のようなものです

*3:良い企業、悪い企業、というのと同じで、最後まで数値化できない領域かもしれない。