半熟ドクターのブログ

旧テキストサイトの化石。研修医だった半熟ドクターは、気がつくと経営者になっていました

ピンピンコロリ(PPK)の欺瞞

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今週は地域での講話と、別の講演と、妙に忙しい週だった。
どちらも「死」とか「看取り」に関するお話なんであるが、片方はACPとか、死について省察しましょう、というもので、もう一つは「院内で死に際する諸問題(診療の標準化でもあり、リスクマネジメントでもある)のシステム化」に関する話で、どちらも微妙に違ってて、準備が大変でした。

最近「死」についてについての講演をすることが多くなった。

これは多死社会であることもあって社会のニーズが高まっているからもあるだろう。
もう一つは、私個人が、基幹病院の専門外来、中小病院での入院と外来(経営も)、施設の往診、*1いろんな働き方を今現在も続けていて、医療全体を俯瞰しやすいからだと思っている。
もちろん、おもしろい講演をするから、というのもあります。
 誰も言ってくれないから今自分で言い ま し た よ!!

* * *

ピンピンコロリという言葉がもてはやされている。

ピンピンコロリとは、健康寿命の長さを言い表した表現で、「病気に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝付かずにコロリと死ぬこと、または、そのように死のう」という標語。略してPPKという。
ピンピンコロリ - Wikipedia

そりゃあ病気に苦しむことのない人生なんて、いいに決まっている。
本来は、寝たきりとかになる(NNK ネンネンコロリ)を防ぐために、しっかり健康寿命を伸ばしましょうという、割と全うな主張なのであるが、僕が外来で出くわすPPKピンピンコロリは、まあ都合がいい話ばかり。

コロリと逝くことができる病気というのは、確かにある。脳血管とか心血管とか血管イベントが、そうだ。
だから、狭心症心筋梗塞の疑いがあるのに、タバコをスパスパ吸っている御仁が
「いやあ僕はピンピンコロリですから」とうそぶき、禁煙もしないし、それ以外の健康対策もしない、なんてよくある話だ。

医者からのアドバイスを、ピンピンコロリの言葉一つで、けむに巻くわけですな。
かといって、突然死することを許容して、人生設計に組み込んでいるのか、というと、そうでもない。
たとえば遺言状とか、エンディングノートとか書いているわけでもない。

* * *

仏教用語の4大苦というものがあります。
「生」「老」「病」「死」

いつも私は「医療でなんとかなるのは 生と病だけですよー、老と死に関しては医学は無力ですよー」みたいなことを言っている。
外来で、講演で。
看取りとか、老衰の方に対して、過剰な治療を望む家族の方は一定数いらっしゃる。
そういう人に対して、現在の状態をお話するときに、
こういうことを言うと、理解してもらいやすい。

ここで、ピンピンコロリという概念をもう一度みてみる。
ピンピンコロリって、要するに、「生」「死」だけで、「老」と「病」がない状態なのだ。
だからこそ魅力的なのである。
そりゃ魅力的だ。
人間が向き合わなければいけない4大苦のうち2苦がないわけだから。

もちろんこれはファンタジーで、たとえば、
道を歩いていたら絶世の美少女が歩いてきて、ろくに会話もしないのに
「私あなたのことが大好きなんです。抱いてください」
なんていうような話があるとしたら、皆さん頭がおかしいと思うだろう。
そんなうまい話、あるわけないじゃん。

でもピンピンコロリって、そういうファンタジーに近いものがある。
老と病のことを一切気を使わなくて、老や病が訪れず、ある日苦痛のない死を迎える。
リアリティがなくて、かなり都合のいい考え方だ。

老・病なんて、我々は自覚していないだけで、20代だって30代だって、一日一日老いている。
実際に、PPKを目指すためには、そうした老化から目を背けずに、毎日の生活態度に非常に気をつけていれば、
老、病を防げて、健康寿命を伸ばすことができるかもしれない。
ただしそういう場合は血管イベントは当然低リスクになるから、それ以外の病気(まあ、癌だろうかな)で死ぬ前に、病気と向き合うことになるかもしれない。

ただ、現実に医療現場でピンピンコロリなんて都合のいいことを言うやつは、
やるべきことをやらずに、健康に関することをすべてすっ飛ばし、医者や保健師のアドバイスはピンピンコロリという「錦の御旗」を持ち出して自省しない人が大方である。

心血管イベントも脳血管イベントも、両分野の医師の必死の努力によって、即死する事例はかなり減った。
簡単には死ねない。
だからPPKという都合のいいファンタジーに仮託するものは、若くして大きな障害を負い、途方にくれることになる。*2

*1:今はオーバーワークでできていないが、警察の死体検案協力もやっている

*2:もしくは運良く本人ののぞみ通りにPPKとなり、残された若い家族が途方にくれることになる。PPKとかのたまう御仁は、最低限遺言状くらい書いていてほしいわ。

去年の喧騒

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気がつくとすっかり秋だったりします。8月、9月とあんなに暑かったのに。

* * *
昨日は特別な一日でした。
うちの医療法人にとって、とても大切な先生が亡くなられて、ちょうど一年が経つ。
その日でした。

当医療法人は慢性維持透析を基幹業務としています。病院とサテライトクリニックが二つあるのですが、当法人にとってメインエンジンとでもいうべきサテライトクリニックの院長を20年も勤めていらっしゃった先生。
法人を創業した父の、文字通り片腕とも言える大きな存在でした。

あの朝、突然胸の痛みを訴え、救急隊が駆けつけた時には心肺停止状態。
病院に運ばれて一時は心拍再開したものの、脳には取り返しのつかないダメージを負っており一日ももたず亡くなられてしまいました。
60代の前半、医者としてはまだまだ働き盛りでした。

* * *

まったく予想外のことであり、現場は混乱どころじゃなかった。
悲しみにくれてしまいたい気持ちをぐっと押し留め、明日からの診療をなんとかしなければいけません。
何より膨大な量の患者さんをほぼ一人で把握しておられたので、その後どうするか、途方に暮れてしまいました。

これは残念なことであるのですが、職人肌の先生で、ほとんどの患者さんとのやりとりは自分の頭のうちに収めておられ、カルテ記載を事細かにするタイプではありませんでした。そのため、膨大な患者さんに関する情報が、そのまま失われてしまったことも痛手ではありました。

* * *

当座の透析の管理と回診は、病院の透析担当の先生にかわるがわる交代で入っていただきました。
手薄になった部分は大学の医局に応援をたのみ、とりあえずはなんとかしのぎました。

その間、次の院長をどうするかということを模索しなければいけません。

大都市圏はともかく、透析管理のできる医師はこの辺ではそう沢山いるものでもなく、探して見つかるのだろうか
……かなり途方に暮れておりました。

詳しくは書けませんが*1、偶然に偶然の大僥倖で、新たな院長として来ていただける人がみつかり10月末には、来年度から赴任していただけることが決まりました。

来年度までは人員の少ないなか苦しいやりくりを強いられるものの、年度末まで我慢すれば……という希望が見えると、人は頑張れるものですね。
精神的な希望って、とても大事だと思いました。

* * *

その後のことは忙しすぎて思い出したくもありませんが、数々の不愉快な出来事もあり、病棟・外来の忙しさと、人数が少ないことで手薄になる透析部門のケアを行いつつ、とにかく例年よりも働きました。*2

僕は今までは透析部門にはあまりかかわっていなかったのですが、透析患者の全身管理は勉強をして*3ローテーションの一角に加わりました。やってみると、透析管理は医学的になかなかおもしろい領域だなあと思いましたが、そんな余裕はその時はありませんでした。
しかし、折しも冬で病棟は満床、ずっと満床……。
控えめに言っても修羅場以外の何者でもない冬でした。

* * *

嬉しかったのは、病棟を始め、すべてのスタッフが頑張ってくれたことです。
大きな精神的支柱を失い、みな少なからず動揺もしました。
しかし、患者さんからの不安からくる辛辣な言動にも耐え、忙しい業務にも耐え、一丸となって、年度末を切り抜けました。
私もとにかく診療を維持するためにあちこち走り回り、外来・病棟・透析とあちこちに顔をだし続けました。

私は創業者の父の後を継いだ二世でしたから、それまでは、どこか皆も「ぼっちゃん」的な受けとられかたをしていたように思います。
一冬の修羅場を戦い抜いた今、名実ともに理事長としてのリーダーシップを発揮できるような気がします。ともに戦った戦友として指揮官として認められたんじゃないかと思っています。
昨冬はすべての部署を把握できた自信があります。それくらい診療に埋没していました。

* * *

一人は病死され、また一人の先生は病院を去り、来年度初めに来るはずの先生は土壇場で撤回されるという、医師に関する限り、さんざんな2017年度でした。が、蓋を開けてみると、昨年度は過去最高の業績(医業収益)でした。
例年よりも忙しい中を頑張ってくれた医師のみなさん、コメディカルのみなさんには心から感謝しました。
(もっとも、誰よりも自分自身が働いた自負はありますけれど)。

年度が変わり、すばらしい先生が二人やってこられ、病院も、透析クリニックも元気にやっています。
昨年度からやっていた透析クリニックの改築工事も終わりました。
改築を楽しみにしておられた亡くなられた先生はもういません。
 でも、なんとか先生の診療そのものは守り抜けたように思います。

少し秋の風が少し沁み入る、こんな日です。

*1:あるいはもう少しほとぼりが冷めてから書くかもしれません

*2:もちろん、いろいろ犠牲にするものはあって、たとえば医師会の業務の一部を辞めたり、以前に常勤として勤めていた基幹病院の外勤も週1から月2回に減らしたりもしました。また自分がリーダーのバンドはこの日以降基本的に凍結しています。そんな気にもなれなかったので。

*3:成書を一通り通読し、FAQ的な本を4−5冊読みました。最近はガイドラインなども充実しており、内科の歴もそれなりにあるので、95%の事象には対応できました。あとは経験者に訊いてなんとかした。

旅いろいろ

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入り口の立看、を撮っている知らない人を撮る。

第一ホテルの話

今週は東京出張だった。
お台場が会場だったのだが*1、新橋の第一ホテルに宿泊した。
内装や什器についてはどちらかというとオーセンティックな造りで、不満はなかったのだが、多分何度も泊まりはしないかな、と思う。

しかし、すごく昭和感というか、懐かしみのある雰囲気……
これは一体……
ん?

* * *
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少し調べてみた。
これは、きっと親世代の人間には周知のことだが、私より下の世代は知らない知識*2

第一ホテルはかつては名門であり、高度経済成長期にはホテルを全国チェーン展開していたホテルグループなのであった。セカンドラインである「第一イン」という名称のホテル群があったのだが、その一号店は福山だったそうだ。(Wikipedia-第一ホテル を参照)


あー。そう。
「第一イン福山」。
家から結構近いところにかつてそのホテルがあった。
今はもちろん、建物も解体されていて跡形もない。

確か、3階には中華料理店があった。私の姉妹は車酔いしやすいので、自宅から歩いていける距離のこの店にはよく食べに行ったことを憶えている。うちは上得意だったのか、年に一度鶏の丸焼きみたいなものが届いていた*3
懐かしい気持ちにおそわれたのも無理はない。

* * *

今となっては失われてしまったホテル系列の旗艦。
ダメになってしまった昭和の遺産。
しかし系列のチェーンにはやはり似たDNAがあるのだろう、建屋の形や内装なども、以前福山にあった第一ホテルとどことなく似ているように思う。それとも時代精神か。
期せずして30年前のことに思いを馳せることになった。

皆さんは第一ホテルグループ、覚えていますか?

ホテルのインフラの変化

医者になってからあちこちと出張に行き、色々なホテルに泊まった*4

2000年代前半は、wi-fiを宿泊客に解放しているホテルはほとんど無かったように思う。だから、出張には、有線LANコネクターが欠かせなかった*5
少し時代が下って2000年代後半には、主だったビジネスホテルではwi-fiが整備されたように思う。ただ、この頃は、家族旅行などで観光地のホテルに泊まればwi-fiは当然のようになかった。「仕事じゃないでしょ?いらないでしょ?」と言われているようだった。

状況が変わったのは2012年から2014年くらいだろうか。
いつのまにかほとんど全てのホテルでwi-fiが提供されるようになっていた。あまりに自然な変化で気づかなかったのだが、おそらくwi-fiの用途がPCからスマホに移行したからだ。というか、スマホが圧倒的に普及したために、相対的にPCのシェアが低下したんだと思う。限られた用途に使われていたwi-fiは、ないと生活が回らないようになりつつあるし、カズレーザーもそりゃギャグにする。

何にしろ、wi-fiが当たり前に使えるのは便利なことだ。有難い世の中だと思うよ。

* * *

ところで、ここ最近のホテルアメニティの潮流は、スマートテレビとでもいうのだろうか、TVのコンピュータ化である。昨年末泊まったホテルではApple TVが備えられており、スマホmacの画像のミラーリングができることに驚いた。
そのホテルは「俺新しいホテルっす」とでも言いたげなルックスだったんだが、このオーセンティックな第一ホテルでも、電源を入れるとまずあらわれる画面で、YouTubeが見れるのである。ペアリングして個人のアカウントを使うこともできる。またHDMIケーブル(貸し出してくれるらしいが)で、PCのミラーリングもできるそうだ。

* * *

時代物のように見えるベッドのフレームにも、充電用のUSB の穴もある。
見た目ほどオーセンティックではないのだ。

* * *

病院に要求されるインフラも、じわじわとではあるが、進化しつつある。二年前に病院を建て替えたときには外来・入院中の患者さん用にFree Wi-Fiを導入した。これはまだ医療の世界では当たり前ではなく、まあまあ喜ばれて、付加価値を付与できたが、まあ優位性があるのはせいぜい2-3年というところだろう。時代遅れにならないように次を見据えて何か導入してみよう。

*1:基本的には学会などで宿をとる場合、僕は最寄りではなく少し離れたところにホテルを取る傾向があります。

*2:多分今どきの大学生に聴いても山一證券とか知らなかったり、そごうも忘れ去られていくのだろう

*3:もらっていたのか、買っていたのかは知らない。子供の頃の話だから

*4:私は要求するQOLが低いので、そんなに高級ホテルには泊まらない。たまに製薬会社招待で泊まるホテルは、私の普段使いのグレードよりずっと高い。個人でそれよりも上のグレードのホテルに泊まる投資家兼業の先生方もおられるようだが、わたしには無縁の話だ。

*5:Windows機だったのでノートPCの側面にイーサネットのコネクタがついているのが一般的であった。奥行きの浅い文机の引き出しを開けると鼠色のLANケーブルが今でも大抵ある。

44歳になった話。

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ちょっと聞いてください。気がつくと誕生日を迎えまして、44歳になりました。
44歳ですってよ。もー。
ギリギリアラフィフではないのですが、さすがに若者という枠からは外れている。
精神年齢は20代からあまり変わっていないんだがなあ。
* *
私は2000年に大学卒業して半年大学病院で研修したあと島根の中小病院に赴任しました。そこの内科部長が確か45歳でした。まだけつに卵の殻のついたひよっこの自分からは、内視鏡はめっぽううまく、言葉遣いは乱暴だが病棟のおじいさんおばあさんに温かい目を注ぐ頼れる存在でした。*1
ただまあ、天然パーマに、白いスクラブの上に半袖の長白衣という独特な風貌。突き出た中年太りで、めちゃめちゃおじさん感がありました。*2
もう、そんな歳なんだなあ……

そりゃあ、今やあたしも基幹病院の内科部長とどっちが偉いかわかりませんが、複数の医療機関をもつ医療法人のトップです。だから、そりゃまあそうか。という気もします。
そりゃ、そんな年だわな。
* *
しかし自分がいる社会的なクラスの中ではまだまだ若手ね。
親の代の人たちもバリバリ元気なので、経営者としては「若手経営者」なんです。まあ国会議員とかでもそうですよね。
IT業界などとは違って、医療・介護分野はかなり保守的です。一代で起業し病院経営をする同年代の先生というのは少ないから、どうしても二代目三代目の継承となる。とするとどうしても実力でポジションを勝ち取った…とはいえないわけで、その分の「上げ底感」がどうしてもぬぐいされない。ITの人たちは自分で起業して数千億円の企業規模の経営をしていて、本当尊敬しますね*3

そういう「自分が若手」のところで活動するとしばしば自分の年齢を失認しがちですが、気がつくと医者人生としては折返しです。人生100年時代*4で、年齢の感覚については、我々の認識の変化も甚だしい。このままいけば、ひょっとしたらずーっと「若手」みたいな立場で20年くらい経っちゃうのかもしれない。

その他のBlogの更新:

ブログを3つ書き分けているんですが、それらのリンクも随時示していくことにします。Blogは最新のものからリスト表示されるのが通例ですが、これは逆に古いものから新しいものに書いていくことにします*5

*1:この病院での研修生活、このS部長、それから理念を重視するY院長のスタイルが今の自分の医者のありようの種になっています。三つ子の魂100まででしょうか。

*2:多分内視鏡しやすい格好だったんだと思います。ただまあ見た目は榎本俊二の漫画にでてきそうな感じでした。

*3:そういう意味では、自分では俺たちなんて本当の経営者じゃあないなと思います。ホンモノじゃねえ。

*4:個人的には無理だと思うけど

*5:しかし、コンスタントにBlogを更新することが前提になるよな…すぐ無理になるかも

ひっこし

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はてなダイアリーからはてなブログへ。

どうも。
この世界の片隅で時折つぶやいていた、ブログのような日記のようなやつ。
時々思い出したように更新していましたが、「はてなダイアリー」が2019年3月をもって閉鎖されるらしく、この「はてなブログ」にうつって来ました。サブアカウントを使って作っていたのですが、この際一本化しました。以後よろしくおねがいします。

といいつつ、続くかなぁ…
どうだろうなあ。

* *

考えてみれば、2005年くらいから、はてなダイアリーを使っている。この「更新日記」というやつは2007年からになります。*1

この間、Web上の「半熟ドクター」ではないリアルな僕も、岡山のワンルームマンションから2LDK、それから福山のマンションに引っ越し(3LDKだったかな)、今は一戸建てに住んでいる。3回引っ越しをし、その間なんだかんだあって*2、余分な引っ越しも2回はさんでいます。職場も3回変わっている。肩書もずいぶんかわった。肩書こそめちゃめちゃ変わりましたね*3

SNSだってまだMixiが現役のころからFacebookから、TwitterからInstagramとトレンドはかわっている。
だから、日記のスペースだって、そりゃ変わるよなーと思う。

* *

自分の本質、読書が好きで晦渋な性格は変わってはいないのだが、今では、CEO的な立場だったり*4、地域の医師会の理事とか、社交をもっぱらとするような役職に就いています。
全く性にあわないな……と思いながら「アカレンジャー」として振る舞っている毎日です。まあアカレンジャーたる自分に以前ほどの拒否感はなくなり外向的な行動がずいぶん増えているのが2018年の僕の近況でしょうか。

そういう外向的な自分と、Blog文章を書く自分とは、心のありようがずいぶん違う。Webであれ何であれ、文章というのはモノローグであり、演説とは少し違うように思います。

* *

まあなんだかんだいって、気がつくとBlogでものを書くことがすごく減ってしまっていた。
それはあくまでライフスタイルの変化に伴うもので、いいも悪いもないとは思う。
ただ、最近の自分は省察*5というものが少なくて、それは自分のようなタイプの思考を行うタイプの人格にとってはあまり望ましくはないのではないかという危惧はあります。もっとも、省察が減ったのは、単に自分が老いたために、思考のスタミナが落ちただけなのかもしれない。

ともあれ、自分のログを何らかの形で残すことは絶対悪いことではないとは思うのだ。
はてなブログ」に移り、日記帳がまっさらになったようなものだと思うはので、またぽちぽち書いていこうと思う。

*1:その前はHTMLタグ打ちでした。

*2:bbbbkkyとかね

*3:大学院生→市中病院の内科医師→私立病院の院長→医療法人の理事長

*4:職員は600人くらいいるんです。責任重大です。

*5:あ、これ「せいさつ」と読むんだね。「しょうさつ」と思っていました。変換されなくて気づきました

水害のこと

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7/6の家の近所の貯水池。ありえないほど水位があがっていてぞっとした。
お久しぶりです*1


今になっては、関西での台風21号直撃*2、北海道の地震など多数の災害があり、全国的には少しニュースバリューが薄れつつある今、自分なりに広島県の水害を総括してみようと思う。

* *

水害があったのだ。
7月頭の、豪雨災害、私の住んでいる街、福山にもやってきた。
ただ、幸い、僕の家もうちの病院も施設も、さしたる被害はなかった。
職員の中には、床上浸水、床下浸水、水かぶって車が廃車になったり、断水地域から通勤している人もいたし、交通途絶で苦しんだ人もいた。ただ、職場そのものの被害はなかったので、対策はたてやすかった。

ナイーブすぎるのかもしれないが、広島県は災害の本当に少ないところ。
だから、こういう風に大きく被害を受けるんだ、という事実にまずびっくりしてしまった。その意味では、危機感の少ない地域に結構な災害がやってきたことになる。
*3

僕の街では結局人死にも少なく、震災などに比べたら大きな被害とはいえなかった。ただ、僕らは幸運だった…と手放しには喜べない。大都市に住んでいるわけではなく、我々には様々な地縁血縁のネットワークがある。近隣の災害を他人事として考えるようには習慣づけられていない。

* *

今回豪雨災害に直面してわかった不都合な真実
それは、水害は、運不運の要素が少ないことだ。
水は高きから低きに流れる。浸水しやすいところ、残るところは、水害がなくてもわかる。
冠水してくると、土を盛っている高くしている家は浸水しない。低いところは浸水する。厳然たる事実。

そして、行政レベルでも大体その辺はわかっているのだ。ハザードマップを見れば、平時でも、本当は水害のリスクが高い低いということは明示されている。つまり、被害は起こるべくして起こった、ということだ。

こういうと語弊があるな。
起こることが当然、というわけではないが、災害の濃淡には、台風や地震に比べると蓋然性の要素が低いと思う。

福山でも倉敷でも岡山でも、市の中心地の被害は少ない。多くは海側にあり、海抜は低いのに。
これは、市中心部は下水の浚渫装置が発達しているためだそうだ。
やや上流に存在する住宅地が冠水していても、そこよりも下流にあるための市中心部はごく一部の道路や排水口が溢れただけで、全体的には、被害は軽微と言えた。

これは間違いなくある種の不公平、不都合な真実だ。
ただ、すべての住宅地について完全に浸水が起こらないようにする防御は、コストパフォーマンスを考えるとできない。

今ある市街地を、昔の城攻めのように考えると、市中心部は、ある種の本丸、辺縁の住宅地は「付け城」「出城」といわれる部分に相当する。そしてそれ以外の田園地帯(住宅はもちろん散在している)。

もし「なにか」が起こるとすると、防御態勢は、この順に手厚くなっているはず。
これはローマ時代から変わらない。

今回の水害であらわになったのは、そういうことだった。

* *

ただ、当地での最大の潜在リスクと思われている南海トラフ地震に対しては、今回被害の少ない臨海側の市の中心街は、おそらく最も大きい被害をこうむるだろう。
南海トラフ地震についてもそれなりの防御はされているが、本質的に津波被害については脆弱であるのは自明である。これについては「起こってみなければわからない」というところだと思うが、災害対策の予算は限られている。今回の豪雨災害をうけて水害対策を行うのか、いっそう気を引き締めて南海トラフ地震への対策の投資を行うのか、意見が分かれるところだろうと思う。どうするのかは、今後の政治決定にかかっている。

南海トラフ地震が起こり、津波が起こると、うちの病院は浸水することがわかっている*4。それもあって電源もサーバーも患者居住区は上階にあげているが、外来、CT、MRIは一階にある。多分そのときには泣きながら外来を片付け、CTもMRIも買い換えることになるだろう。気が重いな。

*1:更新が途絶えているのには理由があります。一つには忙しかったこと(月並!)、あとは個人のPCに向き合う時間が激減しましたね。まとまった文章ってやっぱりPCでないと書けない。

*2:車が吹っ飛んでいるとか、撮れ高のたかい動画がSNSに沢山アップされていた

*3:数年前全日病の学会座長をつとめたときに、災害時の備蓄食料用意していますか?という質問に対し、九州の病院は半数くらいは備蓄を用意していた。福山ではおそらく災害拠点病院だけだ

*4:それもあって周囲の道路からは50cmくらいかさを上げ、今回の豪雨も心穏やかに迎えることができた

時間の非離散化と正月の意味の変化。

気がつくと2018年じゃないですか。前回ブログ書いてから半年経ってるわけで。

あやー。

どうせ年に数回しか書きませんけど、今年もよろしくお願いします。

* *

 年末年始は、ささやかながら病院も通常の外来を休みますが、入院はあります。

幸い大学の先生方のアルバイトで日当直をまわしていますが、ワンポイントリリーフなので、入院中の方のフォローは手薄になりがちなので、その部分は毎日回診にいくわけで、年末年始は、逆に忙しいですね。ただ、日直・当直はないだけありがたい。

それにしても年々正月って非日常な感じがなくなってますね。

これは私の仕事柄かもしれませんけど、街も、コンビニは空いているし、同窓的な集まりのための飲食店にも事欠かない。お正月の「特別感」というのは年々希薄になっている。*1

* *

正月で一年がリセットされる。カウンターがリセットされて、次の一年が始まります。歯車じかけの暦が、桁が繰り上がるかのように、そろばんの桁の繰り上がりのように。

昔はそういう感覚がとりわけ強かったように思います。

時の流れは本来連続したものですが、正月というまぎれもない特異点があり、そこで別の一年が始まる。そういう意味で正月というものは非連続点、特異点という意味合いが強い。*2

* *

数には、1,2,3…と整数みたいに非連続な数(離散数)と、連続する数がある。

日本人は伝統的に上述のごとく時間を離散数的な感覚でとらえていたのではないかと思いますが、ここ最近は時間の粒度がきめ細やかになったのか、不連続な断絶がなくなり、時間を連続数的にとらえる傾向になっている。

連続した流れであれば、0.98も1も1.02にもあまり大きな意味はない。

そのため、正月の非日常性が薄れているように感じるのかもしれません。

* *

ちなみに元号もそうです。

改元されると時代が変わる。改元はいろんなことがリセットされる、特異点でした*3

なんかやたら世の中が荒廃している時には、ノートが汚れたから新しいノートに変えるかのように、元号は1,2年で打ち捨てられて新しい元号にあらたまり、新たな世の中が始まることになっていました。元号には、それくらいの意味があったわけです。

でもおそらく、正月の非連続性がだんだん時代にそぐわなくなるのと同様、改元の非連続性は現代では扱いにくくなっています。

おりしも、来年は改元が行われることが予定されています。でも昭和から平成の改元とは違って、今回の改元はそこまでの意味をもちえないのではないかと思います。

ちょっと前から和暦への依存性はどんどん軽くなっています*4改元を契機にその傾向は一層高まるように思います。もう少しあからさまに言ってしまえば、ビジネス上の年号表記はほぼほぼ西暦が主流となり、和暦は今の六曜、「大安」「仏滅」くらいの地位まで低下するのではないかと思います。

* *

私の領域について言えば、カルテの本文についても、既往歴などを記載する場合、●年に胆摘Opとか、そういうの書くわけです。

今うちの病院では和暦より西暦を推奨とはしてみましたが、年配のドクターはなかなか理解していただけないようで。

*1:例えば正月に海外で過ごすというのも、正月を「正月」としてではなく長期の休暇として消費するなら…という考えが許容されてから流行が始まっているわけです

*2:江戸時代なんかもっとあからさまでありまして、売掛の借金も正月を超えたら水に流さなきゃいけなかったらしいですね

*3:もっともわかりやすいのは改元に伴う恩赦ですよね

*4:最近のWebアプリとかで個人情報を入れる際、生年月日はほぼ間違いなく西暦入力ですが、公文書の多くは未だに和暦です